年末年始、いろんな意味合いで多忙となりペタ返しが出来ない日が多くなるので、
暫くペタ受付を外させていただきます*゜
ご訪問ありがとうございます*゜
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人生ってこんなにもシンプルだったんだって、“私的に(人それぞれ感じ方は違うと思うので)”そう感じた(気づいた)2012年
言葉って、本当に不便だなって思うようにもなった2012年
心の変化がある度に、言葉では表現がしきれなくなっていく一方で、
ここ最近では、表現しきれないからブログまでも“書きたいな”がこなくなってしまっている
(“今”現時点ではなので、この先どうなのかは今は分からない)
ただ、言葉であえて表現してみるとしたら
『みんな自由』
『みんな大丈夫』
『みんなそれでィィ』
なぜ?って聞かれたら、「どんな人も分かる“時”が来たら分かるのかなぁ?って何となく思う」としか答えられない
言葉って、伝えきれない
たった一つの言葉も、受けとる人が違えば意味合いも変化してしまうから、万人に共通した意味合いになる言葉ってものはないなって感じている
『自由』それ一つも、自由とはどんなものか、人それぞれ違うんだなって感じる場面が多々あったり、
『大丈夫』それ一つも、伝える人によっては快く想わない方も居るんだなと感じる場面もあったり、
表現の仕方や捉え方も十人十色だと強く感じ、なんとなく“言葉にせず見守る”を選択し始めた“今”
それがなぜなのか、
「人それぞれの世界観はそれでOK、
言葉には、人それぞれの“その時”によって向き不向きがある」って強く思うようになったからだろう
大丈夫だと伝えて快く想わない方をみていて、
逆に不安を強めたり苦しい気持ちや嫌な気持ちになってしまうようなら、伝えるべきではないと思った
だから、私の書くブログも 見ることで苦しくなったり嫌な気持ちになるような方がいたら、
どうか見ずにスルーしてください
皆様が穏やかな心で居られる事が、なによりもの幸せです*゜
2012年の年明けまで、私は鬱っけがあったのが事実
それが数か月で見事に無くなった
一生治らないと言われていた鬱症状、ここ近年は大分軽くはなっていたものの、
数年もの間あんなにも重い(言葉では表現しきれない)心に苦しんだ自分が、夢でもみていたんじゃないかって思うほど、まるで別人のように様変わりした
様変わりしたというか、本来の自分に戻り始めたと言った方が正確な表現なのかもしれない
本来の自分とは、鬱になる前の自分に戻ったとはまた少し違って、
幼い頃に忘れ去ってしまっていた“自分らしい自分”が蘇ってきたような、
うまく表現しきれないけれど、なんとなくそんなような気がしている
キッカケとなった事は沢山(目に見えぬエネルギーや、それらを教えてくれた方々との出逢い、それらを信じ始めた事など)あるのだけど、
一番強く私の心を突き動かしたのは父さんのある発言だった
『みんな大丈夫だよ、すべてなるようになってる、
みんなそれぞれの世界をみて生きているから、人の言う事を信じるんじゃなく、みんな自分の心を信じればィィ』
それを聞いた当初は、正直“はぁ?なにを根拠にそんな意味の分からん事いってんの?”って思った
今になって気づいた(ワクワクするブログを拝見し、父さんの言ってた事ってこれと同じような事だって何度か感じ)のだけど、
今年の春頃に父さんが言葉にしきれぬ体験をし涙したそれは、一種?の覚醒体験の一つだったって事なのだろう
『現実だと思ってる世界は一つじゃない、人の数だけあるよ、
だからミンナ自由なんだよ、て言うかイツだってミンナ自由に(自分がィィと思ったように)生きてきてるけどね、
まぁ、それを信じる信じないもミンナの自由なんだけどさ』
自分がみている(信じている)ものは自分だけの世界だと
『治らないと信じていたら、キット治らないよ、
治るよ、治るって心底から想う世界を生きていればね』
心底から想う、それは実際簡単な事ではなかったように感じている
でも、その時その時の想いを とにかく無理なく、少しずつ少しずつ想い直していった
父さんの言葉、嘘つくときはすぐわかる(笑)
嘘つく時の言葉(感じるものだから、言葉というよりは感じる何か)じゃなかったから信じた
というより、それ(人はミンナ自由だ)を聞いた時、自分のハート(心)が半端なくワクワクしていたから信じた
もちろん、信じたから直ぐに鬱っけが無くなるっていうわけではなかった、
「そんなはずないわ!」って、鬱っけが出るたび父さんに八つ当たりを何度もした
父さんがその度「大丈夫だから」と声をかけ続けてくれた
八つ当たりしたり、泣いたり、信じきれなくなる時もあったけど、
でも心が“信じたがっている”のを感じ、とことん“自分のその心を信じ”て歩み続けた
そしてヤット“時”が来たという事だろう、
その結果が“今”だ
“自由”というものは、本当に奥深いと思う
世界は一つ(統一した絶対的な何かがあると信じる)だとして生きる人も、
それで間違ってなんかない
そういう世界を生きているのが事実で、どんな世界を生きるかは、皆 自由だから
『人の数だけ世界(宇宙)がある、それが分かると誰の事もそれじゃダメだなんて思わない、
誰かをジャッジ(あの人はあれじゃ良くない、あの人はまだ分かってない、真理(自分が真理だと思っているなにか)を教えてあげなきゃ、etc…)する必要はなくなってると思うよ』
父さんのそれらの言葉、“今”になって心が弾んで知らせてくれる
肉眼では確認しようのない不思議体験はそれなりにあったけれど、
私は覚醒体験をした自覚なんてない
それでも、それらの言葉が輝きのカタチで表れている世界を生きている
そう、私は体験して知ったわけではなく、それを腹から“信じた”んだ
信じなきゃなんて少しも思わなかった、それを聞いた時“心が喜んだ”
ワクワクする“その自分の心”をとことん信じたんだ*゜
皆、それぞれの世界(どんな世界も素晴らしい)を生きているな(感じ方は言葉では表現しきれない)って、
ここ最近は今まで以上にさらに強く感じるようになった
父さんは覚醒体験(人の数だけ真理があるとわかったなにかや、過去や未来なんてないとわかったなにかなどなど、体験していない私ではさらに説明できない)はしたものの、
真実を垣間見たからこそ、この世はわからない事だらけなんだと気付けたといっている
ただ、日に日に“そぅか…これもそういう事だったのか…”といったような、感じている本人ではない私では説明しきれないけれど、
そんなような気付き(思い出し)は気付きで日々あるのだそう
“覚醒体験”って言葉一つも、見方や捉え方って十人十色で、
覚醒体験そのものも、体験の仕方や度重なる体験など、そして体験後の生き方も十人十色で人それぞれなんだなぁって、
すべてが十人十色でホントこの世って自由な世界なんだなぁって、
なんか本当に“生きる”って面白いなぁって最近しみじみ思う*゜
“生きるって、すべてが思い出しの旅みたいなもんなんじゃないかな”って、遠い目をして話してくれた父さんを見て心がワクワクし、
なんだかまた新たな扉を見つけられたような気がした
もちろんそれも、“父さんの”世界観のお話+゜
そしてこのブログ(心の歩み)すべては、“私の”世界観のお話☆彡
“今”に至るまでのすべてがあって“今”がある
学んだ事、出逢った方々、経験、巡り続ける心、
見事にその時その時に必要な新たな出逢いや経験が用意されていると感じ、
それらすべてがあっての今で、すべてが必要だったと感じる今
出逢えたすべての方々に、生きてきたすべてに、
心から感謝いたします*゜
今も、そしてこれからの毎瞬毎瞬の“今”も、
あるがまま、ただただシンプルに、弾む心と共に、
変化し(思い出し)続ける世界を生きていこうと思います*゜
みんなみんな自由*゜
自由じゃダメだって想う人だって、それでOKなんだ、
『∞ すべてが自由 ∞』
もちろん、私の世界でのお話*゜
私の世界は、誰もが自由*゜
みんなみんな、それでィィ*゜
怒ったってィィ、泣いたってィィ、笑ったってィィ、何をしてたってィィ、何もしてなくたってィィ、何を信じたってィィ
どんな“時”だって
みんなみ~んな、一人残らずみ~んな 輝いている+゜
みんなみんな、ありがとう*゜
love&peace


