その後

 

どういうご縁か忘れたけれど

『みくさのみたから』

に参加するようになりました。

 

参加した当時は

実家暮らしで

心も身体もすっかりガチガチになっていました。

 

みくさのみたからは

とても自由でした。

心も身体もほぐされていって

集まる人は朗らかで

 

実践している間は

みるみる体型が整って行きました。

 

私にとっては衝撃的な

体験したことのない世界で

とても楽しかったのだけど...

離れました。

 

これは素晴らしい、あれらはダメだ。が

受け容れられなくて

 

 

スピのはじめにいた学びの場で知り合った方に

「すべてを受容するなんて無理なんだよ」

と言われことがありました。

 

一点の曇りもなく

『あぁ、これなんだ』と

あの感じを、感じたい。

 

そういう感覚がどこかにあって

結局、そのときは何も掴めないまま

 

現実では

実家を出て、直後に

入院、手術、リハビリ

日々の暮らしで精一杯

という時期がありました。

 

2回目の手術の後くらいに

また瞑想をするようになっていましたが

 

その時に、不意に暗闇を漂っているような

なんの感覚もない、ということが起きました。

真っ暗で、でも心地いい。

もう、このままここにいたいなぁ...

と思った瞬間に感覚が戻って

恐怖が襲ってきました。

『あんな状態ではこの世界では生きていけない』

 

それから、意識的に瞑想をすることは

ほとんどなくなってしまったけど

 

感覚は鋭さを増し

感情や思考を意識しやすくなりつつ

感情を揺さぶられるような出来事が続きました。

 

 

トラウマは、残ったままでした。

言葉に、過敏に反応します。

そんな自分を見ている自分が常にいます。

 

目の前に

かつての自分

かつての母親がいました。

 

自分の通ってきた道だから、気持ちはわかる。

でも、母のように振る舞われると

心が揺さぶられる。

 

母に言われていたような言葉を投げられると

フラッシュバックが起こる。

 

それを感じながら

『どうしたらいいんだろう』

『なんて言葉をかけよう』

『どうしてこんなことをするんだろう』

『どうしてこんなことを言うんだろう』

なんとか、なんとか対応して

日々切り替えて笑顔で過ごしていましたが

 

目の前の現実は容赦なく繰り返して

自分の中に、悪しき感情が

湧き上がるようになっていました。

 

昔から、言霊を大切にしてきた私が

こんなことを思うなんて...と。

 

相手のエゴに反応することは

ほとんどなくなっていたのに。

 

最後の課題が

避けていた母との対峙のような

隠していた自分の愚かさや醜さが

自分の中ですべてさらけ出されるような

 

自分の感情、反応を観察して観察して

『私がもっとこうすれば良かったのかな』

とか

それに付属してくる

『恥ずかしい』という気持ち

『情けない』という気持ち

『申し訳ない』という気持ち

 

『何が恥ずかしいんだろう』

『どうして恥ずかしいんだろう』

ひとつずつ向き合っていました。

 

そんなとき

久しぶりにYouTubeでエックハルト・トールの動画を見て

何かがストンって落ちてきたんです。

 

あっ

 

...って。

 

子どもの時の感覚を

やっと思い出しました。