物語を書き始めると

小説書いてた頃の癖で細かく書いてしまうので笑

 

フィクションのように読んでみてください。

 

 

23歳の時

以前、わたしを救いあげてくれた人の

手を振り払っていたわたしは…

友達の命日が近づいて

闇に落ちていました。


仕事はしていたけど、夜になると

ただ、静かに泣いていました。


彼女に会いたかった。でも…

これではいけない、と

ドラマで存在を知った心療内科に行くことにしました。

初めてのカウンセリングはただ吐き出すだけ

 

『消えたくなるんです』

『死にたくなるんです』

と必死に伝えたけど

3週間分の、眠剤と安定剤をもらいました。

 

闇落ちしてた私は

『これは、死ねということかな』

私は、こんなものなのかと

その日の夜に、もらった薬と

家にあった風邪薬とを全部飲みました。

 

飲んだあとで

「しまった」

と思いました。

 

憔悴しきっていて、

感情なんてほとんど感じない日々だったけど

心の底から、後悔の念が湧き上がりました。

 

朝の5時前

すぐに連絡がとれる当時の恋人のPHSは

彼のアパートでは電波が入りません。

 

朦朧としながら電話をかけると

何故か電話が繋がりました。

 

何を伝えたのか覚えてないけど

その後すぐに、私は返事をしなかったそうです。

 

彼が駆けつけて、救急車を呼んでくれて

目を覚ましたとき、私は病院のベッドの上でした。



おそらく

自分の意思で自死未遂をしたのは

この1度きりなんじゃないかなと思います。

 

 

その後、社会復帰しましたが

さらにたくさんのドラマが待っていました。

 

27歳~29歳くらいまでの間の

記憶は途切れ途切れです。

 

病院でいろんな種類の薬を処方されて

薬漬けになっていた間の私は

異常行動をとるか

死んだように動けないか

そんな状態だったような気がします。

 

その間に

離れていった友だちもいるし

振り回し傷つけた人たちもたくさんいます。

親にも多大な負担をかけていました。

 

いろんな手段で

自死未遂を繰り返していたけど

初めのときのようには、何も感じなかった。

 

月に一度のカウンセリング

あとはひたすら薬漬けです。

 

自分の意思で入院もしてみたけど

外にいると私は普通だったらしく

病院も私の居場所ではないと、

1日で退院しました。

 

 

眠れないのは怖く苦しかったけど

自覚なく正気を失うのはもっと怖い。

あの期間の死への衝動は

自分の意思ではないと思います。

 

 

病院は

先生との相性により

鬱をさらに悪化させることもあり得ます。

(素敵な先生もいますよ)

 

ただ

『誰もわかってくれない』って

自分にすら理解できない自分を

他人が理解できるはずもないとは

わかっていました。


ある日

4回目の死ぬ覚悟で

私は、睡眠薬を飲んで

近くの川へ行きました。

お風呂場では、迷惑だろうと

(海の方がよほど迷惑です)

近くの川は、数百メートルで海へ流れ出ます。

満潮時は、足もつかない深さです。


川に入って、一番深い真ん中まで泳ぎ

浮かんで、流されていました。

田舎の深夜

ところどころにある外灯以外の灯りはなく

だからこそ、星がきれいでした。


『あそこに帰りたかった』

『帰れるのかな』


水の冷たさも、恐怖も感じず

ぼんやりと星を見ながら流れていました。

意識はぼんやりしてくるのに

眠りません。


もうすぐ外灯が無くなる…

闇が待ち受けている付近まで来て


『帰れるわけ無いじゃん!』


と、思った途端に

水の冷たさと、

恐怖が襲ってきました。


眠ってしまったら…最期だ


慌てて、足のつく川の端まで泳ぎました。

そこから、家に帰ってどうしたのか

親にバレたのか…等の記憶はありません。


でも、その日以降、

死にたい、と思うことはなくなりました。

(消えたい、ことはあったけど)

 

私は、自分の意思で薬をやめて

病院に行くのをやめ、

 

そこから、少しずつ回復していきました。

 

両親にも、友だちにも

一部の親族にも

たくさん迷惑をかけ

また、たくさん傷つける行為をしました。

 

その当時は

ひたすら、罪悪感を重ねただけでしたが…

 

 

 

中学生の頃、私は

『あんな大人になったと感じたら

 潔く死ね!』

と、未来の自分に呪いをかけていました。

 

大人になってからは

『私に子どもを産む資格はない。

 生き地獄のように感じているこの世界で

 どのように生きていけと

 子どもに伝えていいのかわからない』

と暗示をかけていました。

 

その後

私は32歳で子どもを授かります。

 

薬の影響はないだろうか

飲んでしまったあれらの影響はないだろうか

罰がくだるならここなのかもしれない…

 

なんて不安を抱えながら

元気な男の子を産みました。

 

当時、私の中にはまだ

過去のトラウマ、

エックハルト・トールの言うところの

『重いペインボディ』が残っていて

相手によってはすぐに感情を揺さぶられました…が、

子どもに反応することはほとんどありませんでした。

 


それはまた別なお話でするとして

 

以前、

昔話をこうして人にシェアすると

胸や頭に浮かんでくる映像は

感情と痛みを伴って

とても生々しいものでした。

 

その痛みを

『自分の生きてきた証』と

当時は手放せずにいましたが

やっと、わたしの中で

過去を『古い映画』『物語』にすることができました。

 

 

先の見えない長いトンネル

光の届かない沼の底

 

鬱は『心の風邪』と言われるけど

私にとっては、『心の癌』でした。

命がけの闘病でした。


でも、鬱は治る病気…だと思います。

私は、運が良かったのかもしれないけど…


そして、

そこから這い出して

さらにドラマから抜け出して

本来の自分に気づくことは可能です。

 

言葉にすると、

解釈により意味が変わってしまうけれど...

 


こんなことがありました、の物語を終えて

スピの旅のシェアをしていきたいと思います。