鬱のときの自分の状態は

記憶のあるものについては

映像として自分の中に残っています。

(自らの行為の影響と、薬の影響で、失った記憶がたくさんあります)


 

あのときの感覚は

今も言葉で表現するのは難しいです。

 

深い、深い沼の底に沈んでいるような

息苦しさ、重圧感

反対に

『何も無い』という感覚

 

思考すら止まって、暗闇に取り残されたような

ただ、絵に描いたような絶望がありました。

 

 

小学生時代

中学生時代に

『自分の存在は全否定されている』

と感じていたので

高校生になったときには

『親の期待に応えなければならない』

『親に認められたい』

『褒められたい』

『ありがとうと言われたい』

そんな想いと

『自分らしく生きたい』

という想いがせめぎあっていました。


『自分らしさ』もわからないまま。

 

 

母親の強制で進学校にいましたが

親から離れたかった私は

大学に行かない代わりにと

親を納得させるために公務員になりました。

 

当時はすでに

社会に幻滅していたし

『世間体』『学歴』『肩書き』

というものにもうんざりしていたし

大人になっていく自分自身すら嫌悪していたけれど

 

税金で運営される機関なら

胸を張って生きていけるんじゃないか、なんて

淡い希望を抱いていましたキョロキョロ

 

 

 

実際には

私の仕事のひとつは

『裏金作り』でした。

 

詳細な物語は割愛するとして

 

1年目、仕事に苦悩し続けていた頃に

大学へ進学した高校時代の友だちが

自死しました。

 

明るく、優しく、いつも笑顔で

心を閉ざしがちな私にすら

太陽のような、向日葵のような

あたたかさを教えてくれた人です。

お互いに書いた詩を見せ合っていた人。


なぜ、彼女が?


彼女が亡くなる少し前に

わたしは彼女を地元の駅で見かけていました。

でも、彼女はここに、いないはず

そして、うつむいて、佇むその人の雰囲気は

わたしの知ってる彼女のものではなかったので

気のせいかな?と、声をかけませんでした。

(携帯なんてない時代のこと)


あとから聞いた話だと

それは、確かに彼女でした。


『わたしが声をかけてたら、何か違ったの?』


また、ひとつ罪悪感が生まれました。

みんなに愛されていた彼女が死んで

誰にも必要とされていない…自分が生きているのは何故なのか

 


社会人2年目


職場で

大卒の人たちに見下されながら

強制されてやっている違法行為で

「もしものとき逮捕されるのは、それを行ってるあんただ」

と脅されながら

 

私は何をしてるんだろう

どうしたいんだろう

葛藤しながら

その時にできる自分らしさのために

上司に、そのさらに上司に

さらにその上の部署に直談判し

相手にもされなかったときに

退職を決意したのですが

 

退職を相談した時の、母からの言葉

「どこもそんなものだ」

「それが社会だ」

「普通の人ができることが何故できないのか」

「あんたはただの負け犬だ」

 

それらの言葉で、

崩れ落ちてしまったんです。


彼女の命日を前にして


 

もう無理だ

これ以上は無理だ

消えてしまいたい

でも、そんなことをしたら…

親に迷惑がかかるだろう

でも、無理だ



そんな中、

私を救おう、としてくれる存在がありました。

わたしに、逃げ道を作ってくれた人がいました。


それから数年の間

いろんなドラマがありながら

 

愛されたいのに

愛される資格がないと苦しみ

許されたいのに

許されるはずがないと苦しみ

支えようとしてくれる人の手も

私にそんな資格などない

どうせ私なんか

と振り払い

感情の波に揉まれながら

先の見えない深い海の

それでもまだ波間で

漂っていました。


 

調子のいいときでも

友人の命日が近づいてくると

私は不安定になりました。

 

私を苦しめていたのは

私自身でした。

 

生きていることを

罰のように感じながら

それでもまだ、

浮き沈み、できていました。

 

 

続く