ほんの数ヶ月前に
『人生で初めて出会った』
と感じた人について
あれはなんだろう?
と久しぶりにネットサーフィンをして
たどり着いたのが
『サイコパス』でした。
人がいて、特に対峙していると
その言動の奥にあるもの、その背景などを
時には自然に
必要なら意識的に
感じ取ることができるのですが
その人は『空っぽ』だったんです。
『きっと何か理由があるのだろう』と
どんなにリンクを試みても何もない…
表現するならば『魂を感じない』みたいな
サイコパスという言葉はもちろん知っていたけれど
『反社会的』みたいな側面を強くもつサイコパスがあまりにも有名で
自分探しをしている期間には
スルーしていた分野でした。
そこから、サイコパスについて学んで
『Dark Triad』という概念にたどり着き
「ホワイトカラー・サイコパス」
「ダーク・エンパス」
という心理学上の概念を目にしました。
『ホワイトカラー・サイコパス』の特性としては
ざっくりと
・善人や良識人を偽装することに優れている
・表面的には人当たりが良く、誠実な人間と印象づけられる
・良心の呵責という感情が欠落している
・言葉巧みに他者を操り利用する
・共感力は低いが、認知機能や言語性知能に優れているので『共感しているように演じる』ことができる
一方で『ダーク・エンパス』は
Dark Triadの特性を高く持ちながら、共感力も高いと表現されています。
ダーク・エンパスの人たちのもつ共感力は
相手が何を求め何を感じているのかを理解する
「認知的共感力」であり
「感情的共感力」に乏しい
そのため、
社会的スキルとして計略的に他人の心情を読み取る能力に長けているので
それを利用し、言葉巧みに
相手を自分の世界に引きずり込む。。
あぁ、そういうのあるかも
そういう人いたかも
でも、自分がそのとき置かれている状態や状況においては
そういうある種の「カリスマ」みたいな存在は必要だったんだよ。。
と思いながら、さらにネットサーフィンしていて
あるブログにたどり着きました。
はじめは、『面白いな』と思いながら読んでいたのだけど
すぐに「これは危ういな」と感じました。
とても魅力的に感じて
とても、ある意味取りかかりやすく
○○と▲▲を比較して
こうなりたいなら…と誘導して
外を糾弾させて、自分の本質から遠ざけさせているような
最終的には、言わんとすることは○なのかもしれないけど
その過程で、、
言葉をもって誰かを追い詰めるような誘導は…危うい。
あぁ、自分探しをしている時期に
この人のブログにたどり着いてなくてよかったなって
感じました。
サイコパスとか、ダーク・エンパスとか書いたけど
それが悪だとか、闇だとかではなくて
たとえば、それらは脳の機能によるものだったり
育ってきた環境に起因することもあったりして
「共感したくてもできない」空っぽさがあるとか
こういう特性を再認識した、だけ。
再認識したことで、より自分のことを知っていく
ただ、それだけなんだけど
苦しいさなかにいる時には
何かにすがりたいよね
そして、宗教的なスピ的な
『ひたすら内観』
みたいなやり方って
見たくないものを見ないといけなくって
隠してた心の蓋を開けなきゃいけなくって
痛みを感じたらつらくて
自己肯定感が低ければ低いほど
『自分が悪かったのかな』って
自動的に自己批判の思い癖が入って
そこから抜け出すのに
『自分は悪くない』
と自分に言い聞かせる段階は必ず通るけど
『自分は悪くない』=『○○が悪い』
という沼にはまってしまうと
ほんとうに、抜け出すのが難しくなるよね。
言葉にしろ、想いにしろ
増大してしまった念ならなおさら
自分が発したものは、必ず自分にかえってくる世界で
『わかった』つもりになって
『あの人が言うことだから』と
流されて、やってしまった結果の
責任をとるのは自分自身なんだと思い出して
いいとか悪いとか
正しいとか間違ってるとかいうことではなく
自分で考えて
自分で感じて
『心に引っかかりはない?』
『この違和感はなに?』
そういう直感を大切にして欲しい。
コミュニティで、異を唱えるのは怖いよね。
どこかに所属しているのは、ホッとするよね。
違和感感じても、言えないよね。
「自分の学びが、取り組みが、足りないからかな?」
なんて思っちゃうよね。
『違和感』とか『引っかかり』は
自分の本質から差し伸べられた手のようなものかな。
自分の感覚を信じることも
『自分を信じる』だから。
結果的に、無駄な経験はないと思う。
「あぁ、もっと早くに」と思っても
すべての過程が必要だったと思うから。