特に笑い上戸と言うわけではないが、一旦ツボにはまると抜け出すのに苦労する。

笑ってはいけない場面でそんなことになると大変だ。




 さて、私はイタリアに住んでいるのだが、この国では高校や大学などの教育機関で、さまざまな教科の試験が口答で行われるケースが多い。歴史。経済。文学。日本では筆記試験で評価するところを、イタリアでは口答試験で評価する。まして私の教えているのは日本語、つまり語学なので、会話の試験は必ずある。



 試験を行う立場からすると、問題作りや採点、試験中のカンニング対策など、筆記もそれなりに大変だけど、口答試験はより体力を消耗する。もちろん学生も緊張するだろうが、何人にも同じ内容を、聞きこぼしがないようにキッチリ質問して、相手が緊張しすぎていたら和らげて・・・まぁ、そこらへんは集中力と笑顔で乗り切るのだけど、私にとって一番のピンチは、学生がちょっと面白い間違いをしてしまった際の対応である。


面白い間違い。それはたとえば、

 


「今朝、朝ごはんでパンを食べました。」と言おうとして、

「今朝、朝ごはんでパンをなめました。」と言ってみたりすることである。



 書くとそれほど面白くもないけれど、口答試験の緊張感の中で、相手の言うことに神経を集中させている時に、忽然とこういう表現が現れると困る。

 ある程度親しい学生で冗談が通じるタイプなら、そこで一緒に「やだなぁ、『なめる』じゃ、パンをペロッとすることじゃないのー。」などと、言い間違いの意味するところを教えて、仲良く笑って「はい、次。」と言う解決法もあるが、なぜかこういう表現は、まだお互いを良く知らない学生、もしくは、とても真面目だったり、繊細だったりする学生との試験のときにこそ、ヒョッコリ現れるのだ。


・・・いやー、笑えないっす。


笑ったら傷つけちゃいそうだし、うっかり吹き出しでもしたら、おそらく同じように笑いを耐えているであろう同僚も巻き込みそうだ。ヤジロベエのような危うい均衡が支配する。


― いかん。笑いそうになるのをこらえ、学生にこちらの動揺を伝えないようにして次の質問まで逃げ切らなくてはならない。


 しかし、笑ってはいけない、いけないと思えば思うほど、その純朴そうな男子学生が家からの出掛け「行ってきまーす。」とさわやかに挨拶しながら、丸いパンをペロッとなめるシーンなどがよぎり、じわじわと酵母が発酵するように、妄想は膨らむ。なんとか集中しなければと学生の顔を真剣に見つめると彼は、不安そうな、しかし確認するような視線をこちらに送りながら、今度はさらにゆっくりと発音するのであった。

「パンを、なめます。」と。



 こんな危機は、わりと頻繁に訪れる。


郵便局の様子が描かれたイラストを指差しながら、

「イチモツがあります。」

そんなもの、あったら困るんだよ、郵便局に。「荷物がひとつあります。」と言いたかったらしい。


「朝ごはんで穀物を食べました。」

鶏か。明るい朝日が地面を照らすなか、その学生がコツコツと地面をついばむ姿が浮かぶ。ちなみに学生が朝食として食べていたのはシリアルであった。その直訳日本語が、穀物。



「好きな音楽は、ウニです。」
音楽は雲丹だ。と言うこと?ダダイズムか何かか?実際は、「U2です。」と言いたかったらしい。「U」をローマ字読みした挙句、「2」を日本語に訳した結果、「ウニ」になった。


 こんな表現が飛び出す度に、いきなり予想外のボディブローを食らったボクサーのように息を飲み、脇の下にジンワリと汗をかきながら、成績表を眺めるふり、咳き込む振り、ひどい時には書類をどこかに置き忘れた振りをして立ち上がる、などして切り抜けてきた。



 しかし最近、己の身に起こりつつある、新たな現象に気付いたのである。口答試験中、もしくは個人レッスン中、急な笑いのボディブローを食らった時。今までならショックで衝動的に腕時計など眺めてしまっていた、その瞬間に。
急にスーッと、意識が遠くに離れて行くのだ。なにか、幽体離脱にも似たような。脳内の笑いを認識する部分が、突如として無感覚になるような。

 これって、進化?長年の口答試験やマンツーマンレッスンにおける笑いの衝動というピンチを乗り越えるための、職業的進化なのだろうか。




― 心頭滅却すれば火もまた涼し。


そう、感じなければいいのだ、笑いも、熱さも。






















 ヨーロッパアマツバメとは、名前のとおりツバメに似ていて、でもツバメよりもっと地味な羽色の渡り鳥。冬場はアフリカで過ごし、夏場にヨーロッパに飛来してくる。

今年も夏が訪れて、いま私の住むペルージャは、ヨーロッパアマツバメ銀座、ヨーロッパアマツバメの総本山、ヨーロッパアマツバメのメッカ、ヨーロッパアマツバメがやってきた、ヤア、ヤア、ヤア!という状況である。


 どこもかしこもアマツバメだらけ。町には朝から彼等のピーーーーーーーーーョピーーーーーーーーョという声が響いている。


 今の家に越して来る前は、ペルージャに何年も住んでいたのに、あまりその存在を気にすることもなかった。あの鳥がヨーロッパアマツバメ、イタリア語でRondone と言うこともまったく知らなかったものである。

 ところで、今の家には暖炉がある。小さいけれども使用可能な、本物の暖炉だ。5年前、それまで友人たちとシェアしていたアパートから現在の暖炉付きアパートに移った時の引越しは、平日に行われた。大学はちょうど試験期間中で、ハードな数日間であった。
 そんな引越しもめでたく終了、窓がたくさんあって明るくて、暖炉まであって、立地も便利な新しい家に満足していた私は、この新しい家ではじめて迎えた夜、くたびれ果てて泥のように眠った。そして、やっぱりこの新しい家ではじめて迎えた明け方。不審な物音で目が覚めたのであった。



 ガサガサッ、バタバタッ


・・・げ、泥棒?



半分覚醒しかけた意識の中で、

ああ、私の人生はもはやこれまでか。

ひげ面の男に出刃包丁で刺されてしまうのか。

出刃包丁には、素手で勝てまい。

お父さん、お母さん、すみません。

友よ、後を頼んだ。



なんて常軌を逸したことをぐるぐる考えていたのだが・・・泥棒にしては物音のボリュームが小さい。徐々に正常な意識を取り戻しつつ、物音はどうやら鳥の羽ばたきに似ているようだ、ということに気付いた。

 鳩?どっから入ったんだろうか、ああ、暖炉の煙突!と思い当たり、よろよろと起き出して音のするキッチンのほうへ様子を見に行った。

 キッチンには、スペースを区切るカーテンがある。そのカーテンに見たことのない鳥が張り付いていた。

つぶらな黒い瞳。小さな嘴。首が短くてフクロウっぽくもあり、鷹っぽくもあり。でもそれにしてはずいぶん小さいし。猛禽類っぽい顔立ちだけど、その子供かしら。

 窓を開けても出て行く様子がない。空腹で弱っているのだろうかと思ったので、猛禽類だけに(勝手な推測)、何か肉々したものがなかろうかと探したが、引越ししたばかりで私の求める肉々したものは見当たらず、あったのはツナ缶。仕方なくツナをやってみると、ふんっと顔をそむけて飛んで行った。

 なんか失礼だったけど、その愛くるしい姿にノックアウト。その日の授業でもホワイトボードに鳥の似顔絵(・・・似顔絵?)まで描き、「このとりの なまえは なんですか。」と文型の練習をする振りをして情報を収集したりした。そしてしばらくは、会う人会う人に珍しい事件として鳥侵入事件の話をして回った。その結果、その鳥はRondoneと言うことが分かり、さらに日本ではヨーロッパアマツバメと言うらしいことも判明した。

 その数日後に、そのヨーロッパアマツバメ(長いので、以下EUAT。)が、また入ってきた。やっぱ、例の煙突からだ。そしてその日以降、我が家の煙突からEUATがじゃんじゃん落ちてくるようになったのであった。

 在宅の時には窓を開けて外へ誘導するから良いものの。一日外出していて帰宅し、おお、こんなところにEUAT、と驚くことも多々あった。


あるときはカーテンに張り付いたEUAT

あるときはたんすの下にEUAT

あるときは冷蔵庫の裏にEUAT

あるときはなぜか鍋の中にEUAT



 そして彼等は、必ずあちらこちらに落し物を残していくのであった。なにせ、EUATの総本山ですから。その夏だけで、数え切れないほどEUATの侵入にあった。そういうわけで、この家で5年目の夏を越す今、EUATの侵入はもう珍しいことでもなくなってしまった・・・と書いている今も、一羽落ちてきて、何事もなかったかのように開けておいた(EUAT用)窓から出て行く。



 そんなEUATまみれの日々の中でも、ことさらEUATにどっぷり浸かった年があった。4年前の夏、ある金曜日。道端であの鳥たちの雛を拾ってしまったのである。あちらこちら確認してみたが、親鳥や巣の姿も見えない。しかも羽に怪我をしてるようだ。放置するわけにも行かないので、ひとまず獣医に連れて行って、何とかしてもらう予定が、普通に「これとこれとこれに気をつけて。鳥専門の先生は月曜日にならないと来ないから。」と、世話すること前提のアドヴァイスを受けてそのまま帰された。え、いいの、野生動物なのに?


 それから大忙しで、とりあえず雛にはピーちゃんという無難な名前を付け、病院で受けたアドヴァイスやネットなどで探しまくった知識を元に雛鳥好みのじめっとした暖かい空間を作り、日中は1時間おきに餌付け、夜は温度が下がらないように常にチェック、日の出と同時にまた餌付け開始。それと平行して、野生の鳥だし、何とか専門家の手に渡して、出来れば巣立ってほしいと方々に連絡を取ったり、実際に出向いていってみたりした。



 日曜日の夜、やっとのことで野鳥保護の専門家の方と連絡が取れた。世話の仕方はおおむね良いけど、羽に怪我をしていては生き残るのは難しいだろうとのことだった。その翌日の朝、残念ながらピーちゃんは、専門家の方の予言どおり、その短い命を終えた。結果的に最後になってしまった食事のとき、アドヴァイスに従って、生の牛肉の脂身の少ないところを叩いて、軟らかくしたものを与えたところ、美味しそうに食べてくれたのが、せめてもの救いだった。



 このピーちゃんの一件以来、無駄に鳥(ほぼ、EUATの雛鳥限定)に詳しくなってしまった。しかも、なにか、家に落ちてくるEUATと意思の疎通が出来るようになった気がするんだけど・・・まさか・・・ねぇ。



 さて、今年は何羽くらい落ちてきちゃうのかしら。あの時期に大量に吸収した鳥の雛の知識がまた役に立つようなことにならないと良いけど。雛鳥たちが、みんな元気に巣立ちますように。



在りし日のピーちゃん。





































 こう書くと、現実を逃避するために鼻の穴から何か白い粉を吸い込んでる様子などを想像しがちだが、そういうことではありません。


 やっとひと段落ついたのだけど、ここ3ヵ月は、いつもの大学の授業に加えて陸軍の語学校でも教えていたので、日々慌しかった。あちらこちらと移動も多いので、体力も消耗気味。

 しかし、あれですねぇ。こういう、やらなくてはいけないことが山積しているときに限って、さらに追い討ちをかけるように余計な仕事を作ってしまうのはなぜなんでしょうか。しかもはじめたら最後、完了するまで放り出せないタイプの作業。

 近年、他の追従を許さぬ安定感でトップに鎮座している「はじめたら最後系の仕事」は、粉ものの調理である。

粉もの、すなわち、粉を使ったお菓子や料理。


パン。

ケーキ。

クッキー。

パイ。

スコーン。

パスタ。


 こう並べて書くと、たいへん多幸感が高いラインナップ。なるほど、のんびりした気分でのお菓子作りやパン作りは楽しかろう。 しかし問題は、何もこんな時に作らなくても、と言うタイミングで作業を始めてしまうことだ。

 深夜に粉を山形に盛って中心を軽くへこませたところに卵などを割り入れていると、「私、何でこんなこと始めちゃったんだっけ・・・。」と立ったまま茫然自失になる。

 そもそもは学生時代、試験前に漫画を読んでしまったり、机の整理を始めてしまったりすることが進化と言うか退化と言うか、を遂げて来たものなのであろう。そして台所に立ってしまう癖は、大学時代に卒業論文を書いていたあたりから付いたようだ。せめてお惣菜の類を作っていれば、忙しい日のおかずに重宝!なんてことも考えられるけど、作ってしまうのは、たいてい粉ものだ。

それでもあるピークを境に、最近はちょっとは少しはましになったかも・・・しれない。


 あるピーク、それは夥しい数のトルテッリーニを作った時だ。

 平日の夜。仕事からへろへろになって帰宅。食後にフラーッと思い立ち、よせば良いのに手打ちパスタなどを作り始めた。しかも詰め物をしたパスタ(そう、トルテッリーニ “Tortellini” とは、エミリア・ロマーニャ地方名物の、詰め物をしたパスタのこと。伝統的レシピは牛肉やモルダデッラ・ソーセージ等を詰めます。お時間のあるときに、ぜひ。パスタマシーンがなくても、生地に粉を打って、数枚重ねて伸ばすと、くっつかずきれいに薄く伸びますよ!豆知識!)。

 無謀だ。授業で上がったアドレナリン値が戻ってなかったのだろうか。しかも、なんか変わったもの入れたいなー、せっかく自分で詰めるんだし、と、詰め物は栗と鶏肉に決定。冷静に判断すれば、ものすごく手が掛かる、と分かりそうなものを・・・ばか!!!そんなに詰めたければコンクリでも詰めておけばいいのだ、コンクリでも。




 疲労は判断力を鈍らせる。



 栗は焼けばよかったものを茹でてしまったため、しんなりした外皮が剥きにくく、渋皮もぴったりと栗の実に張り付いて、剥がすのに非常な忍耐力を要した。

 あれよあれよと言う間に時間が過ぎ、夜中の1時を回っても朦朧とした意識のなかでひたすら栗の皮を剥いていたのであった。栗の実とも渋皮とも判別のつかない何かが爪と指の間に入り込み、猟奇的。指先は渋でなんだか薄茶けて来た。それでもやめることも出来ずに(やめる判断力も無くなっていた)作業を続け、夜中の2時には黙々とトルテッリーニを作りながら、



Mai più…


二度とするものか、と、もはや静謐な心持で決めたのであった。


爾来、さすがに平日深夜にトルテッリーニを作るようなことはなくなったが、今回も粉物を沢山作ってしまいました。もう持病のようなものなので、長く付き合っていくしかないのでしょうねぇ。