ノンフェクション作家 沖藤典子

 認知症高齢者が住むグループホームを訪問した時のことです。
 女性ばかりで、ほとんどが90代前後の方々ですが、皆さんニコニコしながら、あいさつに出てきてくださいました。
 お盆にお茶をのせ、「いらっしゃいませ。どうぞ」――そのしぐさ、手つきは、まさに一家の主婦そのもの。年齢を重ねた穏やかな雰囲気です。
 「同じことを繰り返し言うようになっても、こういう社交能力は失わないんですよ」と施設長が教えてくれました。「だから、認知症が理解されなくて、家族には悩みの種になるんですが」とも。
 でも、あいさつする力、ニコニコと接待する力は、人間の能力の中で最も大切なものではないでしょうか。あいさつをすればニコニコも出る、ニコニコのないあいさつなんて、炭酸のないサイダーのようなもの。
 人間、幾つになってもニコニコ。他の何ができなくても、病で同じことを100回繰り返しても、あなたは立派なホモ・サピエンス(人間)。他の動物とは違うといえますね。
 ところが最近、あいさつ・ニコニコをしなくなった人が増えているような気がします。
 誰かが近づくと、ついっと顔を背ける、顔をしゃくるようにして口の中でモゴモゴ。
 「どうして、声が出ないのよ!」
 「どうして、にっこりしないのよ。顔の筋肉がないのかい?」
 結構多いのが、失礼ながら中高年男性。この方々はよく、「最近の若い者はあいさつをしない」と言います。ですが、私の見る限りでは、自分があいさつをされていないということに過ぎず、自分からはあいさつもニコリともしないのです。
 中には、近所との付き合いを避けて、拒否する方もいます。あらゆる社会的な「縁」を絶って、援助の手も拒否しています、孤立死される方も。
 〝無縁社会〟は〝無念な社会〟ですね。
 だから福祉関係者は言います。「あいさつ上手は行き方上手」
 人間、幾つになってもニコニコあいさつ。「大晩年」というのも、こんな小さな光景が始まるんですよね。