子どもの「遊び」と同様、成長の肥やしに
 ――おしゃべりを通じ、コミュニケーション能力が向上することは考えられますか。
 あるでしょうね。対話であれ、雑談であれ、その大事な要素の一つは、共に奏でる「話すリズム」です。互いの話す波長が合えば、会話は弾むもの。互いの話と心が響き合うには、そうしたリズムは欠かせないでしょう。
 リズムは、いちいち頭で考えるものではありません。ですから、おしゃべりを多く重ねることで、それを身体で覚えることが大切です。これは、メールや対人ゲームでは身につかない。
 また、会話は量を重ねるほど、その質も高まっていくと考えられます。その意味でも、おしゃべりや雑談の経験をたくさん積むようにしたい。
 おしゃべりだけに、どんな形でもいいのですが、相手の話しを聞くという、最低限のマナーだけは守りましょう。おしゃべりとなると、ともすれば、自分の言いたいことだけを語る人がいます。当然のこととして、それでは、相手がつまらない思いをするばかりか、互いにとって意味のない場になってしまいます。
 ――くつろいで、何でも自由に語り合う場は、近ごろでは減っているようにも感じられます。
 子ども、大人を問わず、本音を語り合える相手や場が少ないのは、憂(うれ)うるべきことでしょう。一昔前までは、おしゃべりが、そのまま対話であることも多く、その中で、人は対話がつむぎ出す豊かな世界を知ることができました。
 おしゃべりは、子どもの「遊び」のようなものです。遊びを通じて、子どもが成長するように、おしゃべりを経験するうちに、人は「対話」のイロハを学び、そして他者と認め合うことを覚えます。「対話」とは話し合いを通じて遂行される「他者の承認」なのですから。
 効率重視が行きすぎて、人間性の喪失が危惧される時代だからこそ、そうしたムダと思われるような時間を、もっとつくってもいいのでは?赤ちゃんは、お母さんと〝おしゃべり〟をすることで「基本的信頼感」を得ます。それと同じように、楽しく、ワイワイしゃべり合う時間をつくることは、人間らしさを育み、保ち続ける手だての一つである、と考えます。
んがしま・あきすみ 1956年、京都府生まれ。臨床心理士。小学校教員、浅井学園大学・同大学院講師、スクールカウンセラーなどを経て、現職。共著書に『学校カウンセリングの理論と実践』(ナカニシヤ出版)、『箱庭療法の事例と展開』(創価社)など。

おわり