神戸市長田区 古水 永実子(主婦 42歳)
娘は、小さい時から「人見知り」するタイプ。小学4年生になった時、女の子がグループをつくりだし、いじめが始まりました。
それまで子どもらしく、楽しい日々を送っていたのに、急に態度が変わったり、「学校が楽しくない」と泣きながら私に訴えたりするようになりました。
私は毎日、娘の話を最後までずーっと聞きました。ある日、「美佳ちゃんの心が強く変われるよう、勤行・唱題をしてみない?」と言うと、その日から1日も欠かさず、実践し始めました。
6年生になるころには運動会で応援団長を務めたり、「いじめをしたらあかんよ!」と相手にハッキリと言えたりするほどになりました。友達もたくさんできました。
今は、中学生になって3カ月。またまた新しい友達、先輩と、慣れない生活にぐったりしています。それでも、学校に来られない友達の家に通い、自分の体験を語っているようです。
先日のこと。帰るなり、「友達が、学校へ来てくれたよ!」と喜んで教えてくれました。自分が嫌な思いをした分、人の気持ちが分かる子に育っているのだと、うれしく思いました。
親として取り組んだことは、学校へ小まめに足を運び娘の友達と友達になってみたり、先生に気軽にお会いし、「今、娘はこういうことで悩んでいます」と状況をお知らせしたりすることです。
「何があっても、お母さんはあなたの味方やからね」ということを、言葉と行動で示しています。
本当に苦しいのは本人
青森県むつ市 五十嵐 喜美江(主婦 46歳)
中学3年生の長男、中学1年生の長女、幼稚園年長組の次女がいます。長女が小学2年生の時、登校をしぶるように。当時、次女が誕生したばかり。40歳の出産だったので、毎日目の回るような忙しさに、くたくたに疲れていました。
正直、長女の学校での出来事を聞くことも苦痛でした。長女は寂しかったのだと思います。学年末テストが始まった2月から学校に行かなくなりました。学校にも相談しましたが、解決の道は見えませんでした。
〝このまま、学校に行けなくなったら、この子の将来はどうなるのだろう〟と思うと、胸が張り裂けそうになりました。
それでも、涙の唱題を続けていくうちに、〝本当に苦しいのは、自分ではない。行きたくても行けない娘のほうなんだ〟と気付きました。責めていたことに、後悔と申し訳なさでいっぱいになりました。
勇気を出して、再度担任の先生に相談しました。「とにかく何時でもよいので、お子さんと一緒に登校してください」と言われ、一番雪が多く寒い時期でしたが、長女が「行けそう」と言うまで待って、次女をおんぶして3人で登校しました。昼ごろだったり、最後の1時間だったり、あいさつだけで帰る日もありました。
それでも先生は、みんなの前で、登校できたことを褒めてくださいました。こうして、長女は日ごとに一人で登校できるようになりました。
今では、元気に中学に通っています。当時の担任の先生も「お母さんも変わりましたよね」と言ってくださいました。本当に私の心の鏡のような娘です。
『希望対話』に心を刻む
神奈川県小田原市 竹内 恵実(教師 43歳)
現在、中学2年生の娘は、小学3年生から登校をしぶり始め、4年生になるころからは、月曜日は決まって登校できず、週に何日かは休むようになりました。
娘が始めて「学校に行きたくない」といった日、通っていた「言葉の教室」の先生に、泣きながら電話をしたところ、「お母さんがオタオタしてどうするの! 自分の子どもを信じなさい!泣かない!」と、一喝されました。
〝わが子を信じる〟と腹を決め、休むことを受け入れました。ずっと行かなくなったら、どうしようという不安はありましたが、夫も祖母も祖父も、家族全員が娘を信じ、「休んでもいいよ。ゆっくりしなよ」という姿勢で臨みました。
夜8時くらいになると、まじめな娘は「やっぱり学校に行かれない」と自分を責め、泣き始めます。毎晩2時間、同じ話を繰り返す娘に「ウン、ウン」とただ聞くだけでしたが、娘が「もう寝るね」と言うまで付き合いました。
そんな状態が2週間くらい続いたころ、娘は登校できるようになりました。右手には、いつも池田先生の『希望対話』を持っていました。集団に入れない娘に「つらくない?」と聞くと、「図書館で池田先生の本を読んでいるから、大丈夫!」という返事。
こうして少しずつ、登校しぶりはなくなりました。娘の『希望対話』には、いろいろな所に赤ペンや鉛筆で傍線が引いてあります。先生の言葉を心に刻んで乗り越えてきたのです。私と娘の大切な宝物です。今は、和太鼓部に入り、笑顔いっぱいの中学生生活を送っています。
おわり
娘は、小さい時から「人見知り」するタイプ。小学4年生になった時、女の子がグループをつくりだし、いじめが始まりました。
それまで子どもらしく、楽しい日々を送っていたのに、急に態度が変わったり、「学校が楽しくない」と泣きながら私に訴えたりするようになりました。
私は毎日、娘の話を最後までずーっと聞きました。ある日、「美佳ちゃんの心が強く変われるよう、勤行・唱題をしてみない?」と言うと、その日から1日も欠かさず、実践し始めました。
6年生になるころには運動会で応援団長を務めたり、「いじめをしたらあかんよ!」と相手にハッキリと言えたりするほどになりました。友達もたくさんできました。
今は、中学生になって3カ月。またまた新しい友達、先輩と、慣れない生活にぐったりしています。それでも、学校に来られない友達の家に通い、自分の体験を語っているようです。
先日のこと。帰るなり、「友達が、学校へ来てくれたよ!」と喜んで教えてくれました。自分が嫌な思いをした分、人の気持ちが分かる子に育っているのだと、うれしく思いました。
親として取り組んだことは、学校へ小まめに足を運び娘の友達と友達になってみたり、先生に気軽にお会いし、「今、娘はこういうことで悩んでいます」と状況をお知らせしたりすることです。
「何があっても、お母さんはあなたの味方やからね」ということを、言葉と行動で示しています。
本当に苦しいのは本人
青森県むつ市 五十嵐 喜美江(主婦 46歳)
中学3年生の長男、中学1年生の長女、幼稚園年長組の次女がいます。長女が小学2年生の時、登校をしぶるように。当時、次女が誕生したばかり。40歳の出産だったので、毎日目の回るような忙しさに、くたくたに疲れていました。
正直、長女の学校での出来事を聞くことも苦痛でした。長女は寂しかったのだと思います。学年末テストが始まった2月から学校に行かなくなりました。学校にも相談しましたが、解決の道は見えませんでした。
〝このまま、学校に行けなくなったら、この子の将来はどうなるのだろう〟と思うと、胸が張り裂けそうになりました。
それでも、涙の唱題を続けていくうちに、〝本当に苦しいのは、自分ではない。行きたくても行けない娘のほうなんだ〟と気付きました。責めていたことに、後悔と申し訳なさでいっぱいになりました。
勇気を出して、再度担任の先生に相談しました。「とにかく何時でもよいので、お子さんと一緒に登校してください」と言われ、一番雪が多く寒い時期でしたが、長女が「行けそう」と言うまで待って、次女をおんぶして3人で登校しました。昼ごろだったり、最後の1時間だったり、あいさつだけで帰る日もありました。
それでも先生は、みんなの前で、登校できたことを褒めてくださいました。こうして、長女は日ごとに一人で登校できるようになりました。
今では、元気に中学に通っています。当時の担任の先生も「お母さんも変わりましたよね」と言ってくださいました。本当に私の心の鏡のような娘です。
『希望対話』に心を刻む
神奈川県小田原市 竹内 恵実(教師 43歳)
現在、中学2年生の娘は、小学3年生から登校をしぶり始め、4年生になるころからは、月曜日は決まって登校できず、週に何日かは休むようになりました。
娘が始めて「学校に行きたくない」といった日、通っていた「言葉の教室」の先生に、泣きながら電話をしたところ、「お母さんがオタオタしてどうするの! 自分の子どもを信じなさい!泣かない!」と、一喝されました。
〝わが子を信じる〟と腹を決め、休むことを受け入れました。ずっと行かなくなったら、どうしようという不安はありましたが、夫も祖母も祖父も、家族全員が娘を信じ、「休んでもいいよ。ゆっくりしなよ」という姿勢で臨みました。
夜8時くらいになると、まじめな娘は「やっぱり学校に行かれない」と自分を責め、泣き始めます。毎晩2時間、同じ話を繰り返す娘に「ウン、ウン」とただ聞くだけでしたが、娘が「もう寝るね」と言うまで付き合いました。
そんな状態が2週間くらい続いたころ、娘は登校できるようになりました。右手には、いつも池田先生の『希望対話』を持っていました。集団に入れない娘に「つらくない?」と聞くと、「図書館で池田先生の本を読んでいるから、大丈夫!」という返事。
こうして少しずつ、登校しぶりはなくなりました。娘の『希望対話』には、いろいろな所に赤ペンや鉛筆で傍線が引いてあります。先生の言葉を心に刻んで乗り越えてきたのです。私と娘の大切な宝物です。今は、和太鼓部に入り、笑顔いっぱいの中学生生活を送っています。
おわり