まだ疲れが取れにくく意識がぼーっとするのですが、暫く語っていないと禁断症状が出るようで。
私が好きな詩のうちの一つをだーっと書き殴って寝ることにします。
半分寝てるので書き下しとかめちゃくちゃかも知れないです・・・。
於玄武陂作 曹子桓
兄弟共行遊 驅車出西城
野田廣開闢 川渠互相經
黍稷何鬱鬱 流波激悲聲
菱茨覆緑水 芙蓉發丹榮
柳垂重蔭緑 向我池邊生
乘渚望長州 羣鳥讙譁鳴
萍藻泛濫浮 澹澹隨風傾
忘憂共容與 暢此千秋情
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兄弟と共に行遊せんとし 車を駆り西城に出づ
野田広く開闢し 川渠互いに相經る
黍稷何ぞ鬱鬱とし 流波激して悲聲あり
菱茨緑水を覆い 芙蓉丹榮を發す
柳は垂れ重蔭緑なり 我に向いて池辺に生ず
渚に乘じ長州を望めば 羣鳥讙譁して鳴く
萍藻は泛濫して浮かび 澹澹と風に隨い傾く
憂いを忘れ共に容與し 此の千秋の情を暢ぶ
穏やかな景色に包まれて、兄弟仲良くいつまでもまったりしてようね!って詩です☆
・・・書き下しで力尽きたからってこの要約は無いですね、すみません(笑)
はい、勝手な解釈入ります。
成立時期、「兄弟」が誰を指すのかははっきりわかりませんが、またまた温かい詩ですね。
情景描写がこれでもかという程に細かく具体的である事から推測すると、想像したり回想したのではなく自分がまさにその環境にある時に詠んだものでしょう。
ところで、田舎の自然の中で遊んだ経験は誰しもあると思いますが、川の流れる音を聞いて何を思いましたか?
流波激して悲聲あり
激しい川の流れを、悲しげな声と例えるのは、どんな心理状態だったのでしょうか。
もしかしたら、時代の流れと重ねたのかも知れません。
穏やかなひとところに留まる事なく、流されていく時代、そして自分たち。
その内に秘めた悲しみを代弁させたかったのかも。
そう考えると、
野田広く開闢し 川渠互いに相經る
のところも、乱世の幕開けを描いているように感じる。
その後の
菱茨緑水を覆い 芙蓉丹榮を發す
というのも、こじつけじみているようですが、緑水は長く続いた漢の時代を、それに覆い被さる菱や茨は父曹操の支配する世を表す。
赤い色彩を放つ芙蓉の花は曹操自身、赤い色はそのために流される血・・・とも取れます。
天下に向かって邁進していく曹操に対して抱いていたものの中に、尊敬の念の他に畏怖があったとすれば筋は通ります。
木々や川の水の緑、空の青、その中にひときわ存在感を誇る、限りなく美しい赤。
柳は垂れ重蔭緑なり 我に向いて池辺に生ず
長く情景描写が続いた後で、ここで再び視点が自分に戻されます。
我に向いて。
動乱の時代からは逃れられないという想いと、目の前の美しい景色そのものからは離れたくないという想い。
そんな交錯する気持ちを描きながら、最後はこう結んでいます。
憂いを忘れ共に容與し 此の千秋の情を暢ぶ
これ、以前にどこかで載せた表現に似ています。
「遨遊して心意を快くし 己を保ちて百年を終えん」
「飄颻として 志意を放にし 千秋 長えに斯くの若くならん」
上は曹丕の「芙蓉池作」、下は曹植の「公讌」。
どちらも銅雀台で共に詠んだ詩の、最後の一節ですね。
結局のところ、というべきか。
心の安定が長く続く事。
彼らの願いはここに帰結するのでしょう。
「於玄武陂作」が詠まれた時、「兄弟」の中に曹植は居たような気がしますね。
というか、居てほしいです。
成立年代が「芙蓉池作」より後だとして、百年と言ったのを曹植に千年だと訂正された背景があったとしたら。
もう一度同じ想いを詠った詩で、曹植の「千秋」を引用して使ったなんて意図があったら、素敵じゃないですか。
もし逆に、成立年代がこちらの「於玄武陂作」の方が先なら。
「公讌」を詠んだ時に曹植が「あの時、千年だって言ってたじゃない」というメッセージを最後の一節に込めていたとも考えられる。
割と好き勝手書いてしまっている当時の文学の中で、兄弟で共鳴し合ってる部分が少なからずあると思う。
そんな箇所を見つけ出して、兄弟不仲説に風化させられつつある二人の絆を蘇らせることが出来たら嬉しいです。