謎だらけの未解決事件

東村山市 強姦殺人事件

1975(昭和50)年
 

 

朝日新聞(1975年7月2日)

 
【事件の概要】
1975(昭和50)年6月30日の午後11時を過ぎたころ、埼玉県所沢市で母親と2人暮らしをしている家事手伝いの進藤厚子さん(当時32歳)が、「お腹が空いたから、自販機でカップラーメンを買ってくる」と母の愛子さん(同50歳)に告げて外出したまま、帰宅しませんでした。
 
進藤厚子さん
 

 
心配した母親は、日が変わった7月1日午前1時半ごろ、厚子さんがよく買い物に行っていた自宅から徒歩10分ほどの東村山市の西武池袋線秋津駅前商店街まで探しに行きましたが厚子さんは見つからず、午前3時ごろ所沢署に捜索願いを出しました。
 
そうしていたところ、7月1日の午後4時過ぎになって、同商店街の東京都民銀行(現在のきらぼし銀行)秋津支店裏の空き家とブロック塀の隙間に、半裸の女性の遺体があるのを近所の人が発見します。
 
読売新聞(1975年7月2日)
 
2日の午前1時ごろに厚子さんの母親が東村山署に「殺されたのはうちの娘ではないか」と届け出たので調べたところ、着衣や歯の特徴などから、遺体は進藤厚子さんであることが判明しました。
 
 
朝日新聞(1975年7月2日夕刊)
 

遺体を司法解剖して調べたところ、厚子さんの死亡推定時刻は30日の午後11時ごろから1日の午前3時ごろの間で、死因は窒息死でした。

 

死体遺棄現場に面した家の2階にいた女子高校生が、午前1時から2時の間に空き家のブロック塀のあたりから「ドサッ」という音がしたのを聞いていることから、その時に厚子さんの遺体が投げ込まれたのではないかと見られています。

 

空き家とブロック塀の間に遺体が

空き地から投げ込まれたと思われる

 

厚子さんの遺体には血液型A型の人物にレイプされた痕があり、素肌にサマーカーディガンだけを着た状態で、口には彼女のものと見られる下着が詰め込まれていました。

また、遺体発見現場の近くの空き地の草むらには争った形跡があり、厚子さんの脱がされたスカートも見つかりました。

さらにそこからは、A型とB型の体液が付着した男性用下着と、O型の血液がついたちり紙も見つかっています。

 

以上のことから、厚子さんは買い物に行く途中でわいせつ目的の複数の男に人目につかない路地奥の空き地に連れ込まれ、性的暴行を受け殺害されて、発見現場に遺棄されたものと推定されました。

 

【事件の謎】

ところが司法解剖の結果、不可解なことがあると分かります。

 

毎日新聞(1975年7月3日)

 

それは、厚子さんの胃の中に、食後1時間以内と見られる麺類とニンジン・豆・シイタケ・ウリが検出されたことです。

 

これらは家で食べたものではありませんし、また商店街とその付近で午後11時を過ぎて開いている飲食店はないのです。

 

とすれば、厚子さんは車に乗った犯人たちに誘われ、離れた場所まで行って食事をし、商店街まで送ってもらったあとに襲われた可能性が考えられます。

 

しかし、深夜に見知らぬ男たちの誘いに乗るような危険なまねをおとなしいタイプの厚子さんがしたとは考えにくいですし、顔見知りだとしてもそんな時間に突然出会ったからといって食事に行くことはないでしょう。

 

仮にどこかに車で行って食事をしたとしても、犯人たちがわざわざ商店街まで送ってきてから彼女を襲ったり、別の場所で襲い殺害してから遺体を遺棄するためにだけ商店街に戻ったというのも考えにくいと思います。

 

それでは、厚子さんが自販機でカップヌードルを買ってその場で食べ、帰るところを襲われたという仮説でなら、胃に残っていた内容物の謎を説明できるのでしょうか。

 

旧い自販機でも、

矢印のところで熱湯が出て

その場で食べることができる

 

ところが、1975年当時、売られていたカップヌードルの「醤油」「天そば」「カレー」の具材には、カレーヌードルにだけニンジンが入っていますが、しいたけや豆、ウリはどの種類にも入っていませんので、この仮説も成り立たないでしょう。

 

こうして警察の捜査では、当夜の彼女の足取りも食事の件についても、何も突き止めることができませんでした。

 

【不審人物の影】

しかし現場近くでは、以前から女性が不審な男につきまとわれたり、首を絞められそうになる事件が起きていました。
 
 
毎日新聞(1975年7月3日)
 
警察はそれらの事件で目撃された男に似た人物が、6月30日の午後11時50分ごろ、厚子さんの自宅と商店街の中間あたりでうろついていたとの情報が寄せられたのを受け、変質者の割り出しを急ぎましたが、男の特定には至りませんでした。
 
しかし、同一人物かどうかはわかりませんが、厚子さんの事件の直前、6月27日の午後8時ごろ、所沢市の民家の前に不審な男がうろついているのをその家の人が見つけ、「何をしているのか?」と声をかけると顔を隠すようにして立ち去ったそうです。
ところが、その男がすぐ後にまた玄関からのぞき込むようにしているの見つけたので、家人が110番通報しました。
駆けつけた警察官が男に職務質問をしたところ、「府中市の佐々木だ。おじさんの家に来た」と言って姿を消したそうです。
 
後で調べたところ、男が言った人物は実在せず、嘘であることが分かりました。
もしもその時、男の話を裏づけも取らずに聞くだけで終わらせず、身元確認をしっかりしていたら、厚子さんの事件を防げたかもしれません。
 
せっかく不審人物に職務質問しながら見逃してしまったことは、返すがえすも悔やまれるところです。
 
その後、母親の愛子さんは何度かテレビ番組にも出て情報提供を呼びかけたそうですが、結局、容疑者に結びつく手がかりが何も得られないまま、事件が起きてから15年後の1990(平成2)年に公訴時効を迎え「迷宮入り」となってしまいました。
 
ちなみに、「人を死亡させた罪」のうち法定刑の上限が死刑である殺人や強盗致死、強盗・強制性交等致死などについては2005(平成17)年に公訴時効が25年に延長され、さらに2010(平成22)年の法改正によってそれらの公訴時効は廃止されました。それに合わせ、その他の凶悪犯罪の公訴時効も大幅に延長されています。
 

 

サムネイル

小川里菜の目

 

不可解な点が多いこの事件の被害者となった進藤厚子さんは、渋谷区の商業高校を出たあと会社勤めをしていましたが前年の1974年12月に退職、75年1月から練馬区の材木店に勤めたあと、事件の5日前まで池袋の割烹料理店で働き、その後はアパート経営をしていた母親の家事を手伝っていたそうです。

 

近所の人の話では、厚子さんはおとなしく目立たない性格で、浮いた話(恋愛話)などはなく、変質者に襲われた以外は考えられないと母親は語っています。

 
事件が起きたのが深夜の時間帯で有力な目撃情報がなかったことも迷宮入りの大きな原因となりましたが、街中に防犯カメラが設置されるようになったのは2000年代になってからで、犯罪捜査にDNA鑑定が全国的に使われ始めるのも1992(平成4)年以降です。
この事件ではそうした科学的捜査はおこなわれず、有力な手がかりとなりえた犯人のものと思われる体液についても、血液型しか分かりませんでした。
 
現在であれば、先に述べたように殺人事件の公訴時効が廃止されていますし、遺留品から犯人につながる手がかりをもっと得られて事件の解決につながった可能性が高かったのではないかと思われ、残念としか言いようがありません。
 
当時、この事件に対する世間の反応がどうだったのか分かりません。
しかし、かつてはこの事件のように深夜に女性が一人で外出して性犯罪被害にあうと、被害者である女性の方が軽率だったと「落ち度」を非難され、自業自得のように言われることも多かったのではないでしょうか。
 

そこには、「男はみんな狼」なのだから気をつけるべきは女性の方だという言い方に見られるように、無責任で身勝手な性行動は男の「本能」だからある程度は仕方がないとされる一方で、そうした危険から身を守る責任は女性の側にあるという考え方があったのだと思います。

 

性犯罪の認知件数(実際に起きた件数の一部)について、次のグラフを見てください。

 

強制性交等と強制わいせつの認知件数

 

強制性交等の認知件数は、この事件が起きた翌年(1976)の3239件から一昨年(2021)には1388件と6割近くも少なくなっており、長期的には減少傾向が続いています。

 

一方、強制わいせつの認知件数は、1990年ごろから増加して2000年に入って急増、その後は急減するという激しい動きが見られます。

 

その理由は分かりませんが、可能性としては1980年代から「セクシャル・ハラスメント」が社会問題として取り上げられ始め、1989年に初めての「セクハラ訴訟」が起こされますので、強制わいせつの被害を訴えやすい社会の雰囲気ができてきた結果なのかもしれません。

 

しかし、性暴力被害については、2022(令和4)年の「男女共同参画白書」でも、女性被害者の6割程度(男性被害者では7割程度)が誰にも相談できずに泣き寝入りしていると回答していることから、性犯罪についてはまだまだ闇に葬られた被害が多くあるのが現状です。

 

また、性犯罪被害というと見知らぬ人間に襲われるイメージが強いですが、同白書によると、加害者の大多数は被害者の知っている人で、まったく知らない人物からの被害は1割程度だそうです。

 

また被害にあったときの状況について、女性では「相手から、不意をつかれ、突然に襲いかかられた」が最も多くなっています。

 

一方、男性の被害者では「相手との関係性から拒否できなかった」「驚きや混乱等で体が動かなかった」「相手から、脅された」が多かったそうで、昨今問題になっているジャニー喜多川から受けた少年たちの性被害状況はその典型と言えそうです。

 

 

ジャニー喜多川の性加害を告発する本
北公次『光GENJIへ』(データハウス、1988)

 

厚子さんの場合がどうだったのか今となっては不明ですが、もしも彼女が襲われ殺害される前に犯人たちと食事を一緒にしたのであれば、ある程度見知った人間に襲われた可能性も考えざるをえず、行きずりの犯行と見て痴漢や変質者に的を絞った警察の捜査方針に死角があったのかもしれません。

 

いずれにしても、深夜の空き地に連れ込まれ複数の男から性暴力を受け、殺された上に遺体を空き家とブロック塀の間にゴミを捨てるように半裸の状態で放置された厚子さん、そして一人娘をこのようなむごい犯罪で奪われた母親の愛子さんの辛さ無念さはいかばかりかと、胸が痛くなる小川です。
 
犯罪現場の現在(手前は銀行の駐車場)
当時の空き地は集合住宅(左)、
空き家は飲食店(右)になっている
 
参照資料
・朝日、読売、毎日各紙の関連記事
・令和4年版「男女共同参画白書」内閣府男女共同参画局
・葛城明彦「東村山市 「お化け屋敷」強姦殺人事件」『昭和の謎99』2022年初夏の号、大洋図書
 
 

図書館帰りに、また勇気を振りしぼって
前とは別のレトロ喫茶へ
心細くて…まだ慣れません😂
 

 
毎日暑いですね〜🥵☀
 

 
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