少年野球チームの合宿費
を着服し放火した母
1985(昭和60)年
野球チームの集合写真に収まる犯人の女
読売新聞(1985年4月1日夕刊)
1985(昭和60)年4月1日の午前4時50分ごろ、長野県北安曇郡小谷(おたり)村にあるペンション「バク」から出火、木造2階建てのペンションと、渡り廊下でつながったこのペンションを経営する大室実さん(当時36歳)の自宅を全焼し、午前6時15分に鎮火しました。
焼失前のペンション「バク」
当時このペンションには、3月28日から京都市内の小学生が所属する少年野球チーム「京都スターズ」の親子ら41人が4泊5日の日程で泊まっていました。
一行は、4月から中学生になる選手を送り出す記念の「卒団旅行」で来ていたもので、スキーなどを楽しんだあと、4月1日には京都に帰る予定でした。
この火災で、いずれも小学5年生の森崇仁君(同11歳)と藤田貴昭君(同11歳)の2人が行方不明になっていましたが、午前11時ごろになって焼け跡から焼死体で発見されました。
下の平面図のように、少年2人はそれぞれ2階と3階の寝ていた部屋から玄関とその横の乾燥室まで逃げて来たものの、火の勢いや煙にまかれるなどで力尽き、亡くなったものと思われます。
ペンション「バク」の1階平面図
火災の原因を、1階談話室付近を火元とする放火と見て捜査していた長野県警捜査一課と大町署は、同野球チームに所属する次男を連れて合宿を引率していた無職・宮崎博子(同40歳)に疑いを持ち、宿泊していた参加者から事情聴取を進めていましたが、出火時には部屋にいたという宮崎の供述と異なり、同室だった2組の親子から「火災に気づいた時、宮崎は部屋にいなかった」「出火前に部屋を出て行った」などの証言を得ました。
そこで、先に複数の詐欺と業務上横領容疑で逮捕され京都地検に送られていた宮崎を、その捜査が終わるのを待って、12月7日に現住建造物等放火容疑で再逮捕したのです。
朝日新聞(1975年12月7日夕刊)
取り調べに対して宮崎は、談話室の電子オルガンの上にあった楽譜にライターで火をつけたことを認めました。
火をつけた動機については、参加者から預かっていた宿泊費36万9千円のうち31万9千円を使い込んでいたのに加え、「バク」にスキー留学で長期滞在させていた長男の8ヶ月の宿泊代など24万円を滞納して3月末には子どもを引き取るよう迫られていたため、それらの支払いを免れようとペンションに放火したと自供しました。
宮崎博子
宮崎は、焼死した2人の小学生の遺体が搬出される時、取材していたテレビカメラの前で顔をおおい、泣き崩れるような様子を見せていました。
裁判では、宮崎は楽譜への放火は認めたものの、「恐ろしくなって、ぬれたハンカチ4、5枚をかぶせて火を消した」と述べ、弁護士も「いったん消した以上、放火と火災とは関係がない」と主張しましたが、1987(昭和62)年3月26日の長野地裁松本支部の判決公判で鈴木健嗣朗裁判長は、「被告の放火で、少年2人が焼死するという痛ましい結果を引き起こした。動機も利己的で社会的責任に欠ける」と検察側の主張を認め、宮崎に懲役8年(求刑は懲役12年)を言い渡しました。
朝日新聞(1987年3月26日夕刊)
中学進学で野球チームを卒団する選手を送る楽しいスキー合宿が、最終日に一転して大惨事となり、小学5年生の子ども2人が逃げ遅れて焼死した痛ましい事件です
宿泊していたペンションに未明に放火したのは、自分の子ども(次男)もチームの一員であった宮崎博子という女性でした。
宮崎は、面倒見の良い母親と周囲から見られていたようですが、常に借金を抱えていて、それまでにもチームのお金をしばしば着服していたようです…
この合宿に際しても、自分から会計係を買って出て全員の宿泊費を預かりながら、ペンション側には5万円を前金として渡しただけで、残りを着服し自分の借金返済にあてていたようです…
先に書いたように、それに加えて長男が同ペンションに長期滞在していた費用の支払いも迫られており、合宿を終えて費用の清算をする段になると着服がバレてしまうと恐れ、その前にペンションが焼失すればうやむやにできるというあまりにも短絡した思考で放火したと思われます
この事件についてはネット上を含めて非常に情報が少なく、宮崎博子が借金を常に抱えていた理由は何か、複数の詐欺行為に関わっていたようですが実態はどうだったのか、夫はいるのかシングルマザーなのか、記事によって「無職」「洋裁業」と書かれていますがどんな生活をしていたのかなど、事件の背景となる事情についてはほとんど分かりません。
一部には、宮崎はこの野球チームの監督の妻だと書いているものがありますが、新聞各紙の記事にはそうしたことは一切書かれていませんので、それは事実でないように思います。
「被害者少年の母親」も間違い
(『昭和の謎99』2021年初夏の号、大洋図書)
宮崎が起訴された「現住建造物等放火罪」は極めて重罪で、法定刑は死刑、無期懲役あるいは5年以上の懲役となっています。
しかもこの事件の場合は、火災によって2人の死者が出ていますので、相当重い刑罰が課せられても当然だと思われます。
けれども、地裁の判決は、検察が求刑した懲役12年から4年も減じた懲役8年でした。
それに対して控訴審まで争われたのかどうか、情報がないということはそれで確定したと推測されます。
判決の詳細については、残念ながら地裁の判決文を探し出せませんでしたので、なぜそれだけ大幅な情状酌量がなされたのか不明です。
いくら本人が反省の態度を見せ(テレビカメラの前で見せた宮崎の姿を「涙も出ておらず演技しているだけ」という厳しい見方が多くありますが、浅はかにすぎるとはいえ死者が出ても仕方がないとまでは考えていなかったでしょうから、予想外の結果にショックを受けたのは事実だろうと思います)、また未成年の子どもがいるという事情を考慮しても、2人の子どもを死なせた責任に対して、懲役8年とは非常に軽い刑だという印象を小川はぬぐうことができません
もしもこのブログをお読みくださった方で、何らかの情報をお持ちの方がおられましたら、お教えいただければ幸いです。
それにしても、この事件でも大人の無思慮で身勝手な行動によって2人の子どもの命が奪われたことに、悲しみと憤りを抑えることができない小川です。
建て直された現在のペンション「バク」
今も同じ、「バク」のキャラクター
参照資料
・朝日、読売、毎日の関連記事
・消防防災博物館「長野県小谷村 ペンション バク」