昭和に起きた親子心中
道連れ自殺した親たち
【日本人の妻 サンタモニカ入水心中事件】
夫の連れ子を殺害した他の事件の記事に
(『FRIDAY』1985年7月19日号)
1985(昭和60)年1月、アメリカのカリフォルニア州サンタモニカの海岸で、日本人女性(当時32歳、主婦、在米14年)が4歳の長男と6ヶ月の長女を道連れに入水(じゅすい)自殺をしようとした無理心中事件が起きました。
サンタモニカの海岸風景
近くにいた大学生らがそれに気づき、急いで母子を助け上げましたが、子どもたち2人は亡くなり、母親だけが一命を取り止めました。
警察の調べで、3年も前から夫(日本レストラン経営、在米6年)に愛人がいたことを知って絶望的になり、精神的に不安定になった妻が、子どもと無理心中をはかったことがわかりました。
取調官に対して母親は、「子どもだけを残して死ぬことは心配でできなかった」と供述したそうです。
この母親は、子ども2人の命を意図的に奪ったとして「第1級殺人(計画的殺人:謀殺)」の罪に問われ、終身刑か死刑の判決を受ける可能性がありました。
親が幼い子どもたちを道連れに自殺をすること自体、アメリカでは考えられないことだったため、地元紙が次のような解説記事を掲載したと読売新聞(1985年3月15日)が報じています。
「アメリカでは母親が愛情から子どもを殺すことは極めてまれ。あったとしてもそれは憎しみからで、狂気のさたか、身勝手な残虐行為として非難される。ところが、日本では親子心中が年間400件もある。しかも、自分だけ死ぬより、子を道連れにする母親の方が慈悲深いとされる。(…)日本社会では就職、結婚などのさい、親のない子が差別される風潮があるからだ。」
親だけが死んで子どもが取り残されるのは、今後の人生で子どもに大きなハンディを背負わせることにもなり、親と一緒に死ぬほうが子どもにとっても幸せだとこの母親も思ったのでしょう。
親子は一心同体で、特に幼い子どもは「親のもの」という考え方をする人は、今ではこの当時より少なくなっているでしょうが、昭和の時代には多くの日本人に共有された感覚だったと思います。
ですから、この事件がもし日本で起きていたら、世間的にも母親に同情が集まり、裁判でも情状を酌量して執行猶予のついた「温情判決」が下される可能性が高かったと思われます。
しかし、たとえ親子であっても独立した人格(「他者」)という考えの強いアメリカでは、先に述べたように、子どもを2人も殺した残虐な殺人事件ということで、この母親には死刑判決も十分ありえたのです。
そこで、事件を知ったロサンゼルスの日系コミュニティが母親をサポートするグループを結成し、日本人の考え方や文化的な背景を考慮して情状酌量をという嘆願書の署名活動を行い、裁判所に提出したそうです。
嘆願書の効果はわかりませんが、事件当時に母親は心神喪失状態にあったと裁判所が認めたため、保護観察処分と5年間のカウンセリングが言い渡されました(心神耗弱で1年6ヶ月の禁固刑だったと書かれているものもあります)。
これは、「親子心中」に対する日米の考え方の大きな違いが明らかになった事件として、日本でも話題になりました。
【日本における昭和の親子心中事件】
先にあげた読売新聞の記事中に「日本では親子心中が年間400件もある」と書かれているのは、「1982〔昭和57〕年に桃山学院大社会学部の飯塚進助教授(当時)が日本で親子心中が「異常に多い」ことに着目して、調査を行った結果」で、その調査によると、「昭和50年から55年〔1975年から80年〕までの6年間に、全国で2555件(年平均425.8件)の親子無理心中が起きている。一日平均1.17件」もあったそうです(読売新聞 1982年12月30日)。
そこで、昭和に起きた心中事件を7つ紹介します。
①事業経営に行き詰まっての一家心中(群馬県、1980年)
朝日新聞(1980年12月26日)
1980(昭和55)年12月25日の午後、群馬県の赤城山頂にある赤城神社の駐車場に停まっている乗用車の中で、一家5人が排ガスを引き込んで死んでいるのが見つかりました。
「死にたい」という走り書きが車内にあり、警察は一家心中と判断しました。
赤城神社
亡くなっていたのは、千葉県木更津市の建設業・櫛淵正夫さん(51歳)、妻の節子さん(39歳)、長男の誠さん(9歳)、長女の千代さん(7歳)、次女の理映子さん(5歳)の一家5人です。
車内には、「子どもと永遠の眠りにつく。桐生の生まれなので、群馬で死にたい」という走り書きの遺書がありました。
調べによると、櫛淵さんは十数年前から建設業関係の会社を経営していましたが、前年の夏ごろから事業がうまくいかず、節子さんの父親が訪ねた時には「不渡りを出してしまった」と話していたそうです。
一家は11月24日に家を出たあと連絡がつかず、妻の父が心配して12月1日に家出人捜索願いを出していたところでした。
②金の工面がつかず親子心中をはかった父親(東京都練馬区、1982年)
朝日新聞(1982年7月14日夕刊)
1982(昭和57)年7月14日午前6時半ごろ、東京都練馬区のとび職・狩谷泰利(32歳)から、妻子を殺したと110番通報があり、駆けつけた警察官が妻の与志子さん(33歳)と長女で小学4年の美恵子さん(9歳)が首を絞められて亡くなっているのを発見し、狩谷を殺人容疑で緊急逮捕しました。
供述によると、狩谷は6人のとび職人を使って建築現場で足場を組む仕事を請け負っていましたが、12日に職人たちに支払う給料を含めて300万円の借金があり、妻子と共に手元にある50万円をもって10日と11日に競馬場に行ったものの40万円負けてしまい、帰宅後に妻と相談して心中することに決めたとのことです。
そこで7月13日の午前2時ごろ、狩谷はまず長女の首を絞めた後、妻も絞め殺しました。
それから自分も死のうとカミソリで自分の右首や左手首を切りましたが、丸一日たっても死に切れず、14日の朝になって警察に通報したようです。
狩谷のケガは10日程度のものでした。
③倒産・転職で人生が狂いノイローゼの果ての父子無理心中(川崎市、1981年)
朝日新聞(1981年5月4日)
1981(昭和56)年5月3日の未明、川崎市で父親が子ども部屋にガソリンを撒いて火をつけ、焼け跡から子ども3人と父親が焼死体で見つかりました。
亡くなったのは父親の加茂隆造さん(39歳)と長男で中学1年の隆太郎さん(12歳)、長女で小学5年の桂さん(10歳)、次男で小学4年の雅嗣さん(9歳)の4人で、母親のかほるさん(38歳)は近くで行われていた早朝の精神修養の集まりに出かけていて不在でした。
1963(昭和38)年に早稲田大学商学部を卒業した加茂さんは、勤めていた時計の大手メーカーが1974年に倒産。会社更生法で再建されますが仕事に不満を感じて1975年に退職します。
そのころから精神的に不安定になって職を転々とします。
加茂さんは、精神病院に通院しながら1年ほど前から中古のライトバンで廃品回収業を始めたそうですが、たまにしか働けない状態で、妻が新聞配達で生計を支えていたものの、生活は苦しかったようです。
子ども部屋からは20リットルのガソリン缶とライターが見つかっており、父親がガソリンを自分と寝ている子どもの体と部屋に撒いて火をつけ、子どもたちは逃げる間がなかったようです。
④夫の女性関係を苦にした妻による無理心中(東京都台東区、1978年)
朝日新聞(1978年9月6日夕刊)
1978(昭和53)年9月6日午前7時半ごろ、東京都台東区の鈴木源次さん(68歳)宅で、三男の会社員・節男さん(32歳)と妻のみつ子さん(29歳)、小学1年の長男伊織さん(6歳)、長女の純さん(4歳)が死んでいるのを、起こしに行った節男さんの母親ちよさん(64歳)が見つけて110番通報しました。
4人はパジャマ姿のまま子どもをはさんで節男さんが腰ひもで首を絞められ、子どもとみつ子さんは刃物で首と腹を刺されて死んでおり、みつ子さんの左手には血のついた新しい包丁が握られていました。
調べによると、節男さんが前年秋ごろから勤め先の女性社員と付き合うようになり、アパートを借りて彼女を住まわせていたそうです。
それを知った妻のみつ子さんが、夫を殺して子どもを道連れに無理心中をはかったものとみられています。
⑤一人娘の恋愛を苦にしての親子無理心中(横浜市、1975年)
朝日新聞(1975年3月5日)
1975(昭和50)年3月4日の午前11時半ごろ、横浜市港北区に住む会社員・谷口孝平さん(50歳)方で、谷口さんと妻の俊子さん(45歳)、長女で高校1年生の仁美さん(15歳)の3人が血まみれで死んでいるのが発見されました。
調べによると、仁美さんが最近、大学生の青年と親しくなって外泊するようになり、両親は警察に相談するなどしていたようです。
しかし仁美さんは「彼と一緒になりたい」と2月下旬に家を出、いったん帰宅したもののまた家を出ようとしていたそうです。
一人娘の仁美さんの行動に思い余った父親が、発作的に妻と娘の首や胸を包丁で刺し、自分も首を刺して無理心中したと思われます。
⑥高校卒業後の進路で対立し母親が息子を殺して無理心中(静岡市、1981年)
朝日新聞(1981年4月6日夕刊)
1981(昭和56)年4月6日午前8時ごろ、静岡市の中野菊雄さん(52歳)が早朝マラソンから帰宅したところ、妻のみつ江さん(51歳)が首をつって死んでおり、長男で高校3年の晋吾さん(17歳)もベッドで首を絞められて死んでいるのを発見しました。
父親の菊雄さんによると、晋吾さんは自動車整備関係の仕事に就きたいと、高校卒業後は各種学校か就職を希望していましたが、母のみつ江さんは大学進学を強く勧めたために晋吾さんと対立してノイローゼ気味になっていたとのことです。
現場の状況から警察は、みつ江さんが晋吾さんの首をドライヤーのコードで絞めて殺したあと、自分も首をつって死んだものとみています。
中野さん宅は祖母のかねさん(78歳)と4人暮らしで、家庭用品店の経営も順調で家庭も円満だったとのことですが、次男が生後まもなく亡くなっているため、一人息子である晋吾さんを両親は過保護なほど手をかけて育てていたそうです。
⑦相次ぐ子どもの死に悲観した若い夫婦の心中(群馬県、1975年)
朝日新聞(1975年11月19日)
これは親子心中ではありませんが、子どもが関係した夫婦の心中事件です。
1975(昭和50)年11月18日の午前11時半ごろ、群馬県の赤城山中で、停められていた乗用車の中に幼女を抱いた夫婦が死んでいるのを通りがかりの人が見つけて通報しました。
調べによると、亡くなっていたのは同県の農業・筑井勇さん(26歳)と妻の悦子さん(26歳)、次女の美穂子さん(2歳)の親子3人で、排ガスを引き込んで心中したものとみられます。
生まれつき心臓が悪かった美穂子さんは、この月の4日に手術を受けましたが、13日に亡くなりました。
筑井夫婦は病院で次女の遺体を引き取ったあと消息不明になり、家族からの届けで連日捜索が行われていました。
妻の悦子さんは妊娠8ヶ月だったそうですが、夫婦は4年前にも未熟児だった長女を亡くしており、相次いで子を喪った不幸に将来を悲観し、美穂子さんの遺体を抱いて心中したものとみられます。
国語辞典などによると、「心中(しんじゅう)」という言葉は本来、「心中(しんちゅう)お察しします」と言うように「本当の気持ち」「内なる心」を意味し、そこから「本心・真心」を表わす行為を、さらには愛しあう者どうしがかなわぬ恋をあの世で遂げるために心を一つに死ぬこと(「情死」「相対死:あいたいじに」)を意味するようになったそうです
この世では結ばれないお初と徳兵衛が
一緒に死んで愛を貫く
近松門左衛門作の「曽根崎心中」
このように、日本で「心中」と言えば「合意の上」という意味が含まれているので、合意がない場合には「無理心中」という矛盾をはらんだ言葉が作られ、使われるようになります
こうして、サンタモニカの事件のように子どもの合意がない親による「子殺し自殺」の場合でも、「殺人」という言葉を避けて「親子心中/親子無理心中」と言えば、否定的な印象が薄められ、同情的に受け入れやすい表現(「美名」)になります。
誤解がないように補足しますが、欧米など諸外国には親による「子殺し自殺」はなく、日本に独特の現象だということではありません
独特なのは、それを「自殺」や「殺人」とは別の「心中/無理心中」という概念で、同情的・肯定的に捉えることです。
ちなみに英語では、「double suicide(重複自殺)」や「homicide-suicide(殺人ー自殺)」などと呼ばれるそうです📖
このようにして、「親子(無理)心中」に対してもっぱら親への同情から見る日本の社会意識が、「子殺し自殺」への心理的ハードルを下げて事件を起こりやすくしている面があるのではないでしょうか…
それは、老老介護に疲れ果てた高齢の子どもが親を殺してしまう「親子(無理)心中」においても同じです。
もちろん、無理心中した側の追い詰められた情況や苦悩への同情は一概に否定されるべきものではありません
新聞紙上で「親子心中」という言葉が使われるようになったのは大正時代の末ごろからのようですが、当時の親子心中はほとんど貧困・生活苦が原因で、社会全体に貧しい人が多かったことから、身につまされる悲劇として同情が寄せられたのです。
とは言え、無理心中させられた側からすれば、それで済まされたのではたまりません。
以前にこのブログでは、思い余って障害児を殺した親にばかり同情の目が集まるのに対し、脳性マヒの当事者団体である「青い芝の会」の人たちが、「私たちは殺されても仕方のない存在なのか!」と、障害児・者の立場から厳しい批判の声をあげたことを紹介しました。
そうしたこともあり今日では、「親子無理心中」を「児童虐待の一形態」として捉えるようになっています
公式統計がないので、新聞報道された事例をもとにした「子どもの虹情報研修センター」の研究(2011)によると、2000(平成12)年から2009(平成21)年の10年間に未遂を合わせて395件の「親子心中」があり(年平均39.5件)、被害児童数は552人(同55.2人)でした(うちほぼ3分の2が既遂で、3分の1が未遂)。
先にあげた飯塚進氏の研究(1975年から80年までの6年間に全国で2555件、年平均425.8件)と比較すると大幅に減少していますが、近年でも月に平均して3.3件、4.6人の子どもが「親子心中」の被害にあっています。
また、形態で見ると「母子心中」が全体の3分の2(65.1%)と圧倒的に多くなっており、他の形態も含めた「主たる加害者」の割合でも「実母」が約7割(69.7%)を占めています。
それには、一般に母親の方が父親よりも子どもとの一体意識が強いことに加えて、女性の貧困が問題になっているように、女性の方が経済的基盤の脆弱な人が多い事情も関係しているでしょう。
「親子心中」の形態別割合
加害者の内訳
加納昭氏が「親子心中の80%以上が無理心中であるという現実をみれば、親子心中は、あくまでも殺人と自殺の複合されたものであると考えねばならない」と述べているように、私たちも無理心中をした側への思い入れから同情するだけではなく、他に選択肢はなかったのか、こういう条件や支援があれば悲劇は避けられたのではないかという視点で事件を検証し、「道連れ自殺」を少しでもなくすために私たち(社会)に何ができるのか考えなければならないのではないでしょうか。
なかでも、子育て中の母親へのトータルなサポートが、「母子無理心中」を防ぐためにとりわけ必要ではないかと小川は思いました
なお、「親子心中」の動機・背景については「親子心中に関する研究⑶」で裁判傍聴記録をもとにした事例研究がなされていますが、簡単には内容を要約紹介できませんので、関心がおありでしたら下の参照資料に記載したタイトルから検索してお読みいただければと思います。
参照資料
・関連する新聞記事
・窪田順生「日本の親が子どもを「モノ」扱いしてしまう、根本的な理由」ITmediaビジネスONLINE、2018年6月12日
・「親子心中に関する研究⑴ー先行研究の検討」子どもの虹情報研修センター・平成22年度研究報告書
・「親子心中に関する研究⑵ー2000年代に新聞報道された事例の分析」子どもの虹情報研修センター・平成23年度研究報告書
・「親子心中に関する研究⑶ー裁判傍聴記録による事例分析」子どもの虹情報研修センター・平成24・25年度研究報告書
・加納昭「日本的自殺形態としての親子心中の社会学的一考察」佛教大学社会学会『佛大社会学』第11号、1986年3月31日