昭和に起きた

教師たちの性非行

 

以前このブログでは、1986年に起きた「岐阜 高校教師教え子殺人事件」を取り上げました。

 

 

久世繁仁という岐阜県の高校の美術教師が、教え子を愛人にしてソープランドで働かせ、貯金をしてやるとだましてお金を預かりながら私的に流用、それがバレてお金を返すか結婚するかと迫られるや殺害し、別の教え子の愛人に手伝わせて遺体を焼却したというとんでもない事件です。

 

 

 

昭和に起きた事件を見ていると、このほかにも「教師たちの性非行」ともいうべき未成年の教え子と性的に関係した事件がいくつも上がってきます。

 

今回はそのうち5つの事件を紹介します。

 

①小学5年生の教え子をモーテルに連れ込み暴行した教師(熊本市、1985年)

 

『FRIDAY』(1985年7月19日号)

 

上の写真は、熊本市立白川小学校の教務主任・山下司(51歳)が、1985(昭和60)年5月に修学旅行に行った時のスナップです。

 

『FRIDAY』が入手したこの写真の山下の顔には、ボールペンのキャップでバツ印のキズが生徒によって付けられていたそうです。

 

バツ印がつけられた顔

 

この時すでに山下には悪評が立っており、「あの先生」と子どもを一緒の宿に泊めることに不安を感じた一部の保護者が、修学旅行をボイコットする騒ぎもあったそうです。

 

「児童との噂」があったにもかかわらず、同校の田口省一校長はじめ同僚の教師たちも、生徒から事情を聴くこともせずにそれを放置していました。

 

しかし、この年の2月16日に、担任をしていた5年生のクラスのA子さん(11歳)を山下が熊本市内のモーテルに連れ込んで暴行したことが発覚し、6月28日になってようやく山下は婦女暴行容疑で逮捕されました。

 

警察の調べによると山下は、勤務中に10回にもわたって体育館でA子さんに性的な接触をしたほか、同校の別の女生徒2人にも同様のことをしていました。

 

記事によると、子どもたちに近づく手口は悪質で、担任の立場を利用して共働きや困窮家庭の女児に目をつけ、「お菓子をあげる」「勉強を見てあげる」と誘って性的に接触するというものでした。

 

「ホテルに行こうと言われたことがある」とか「保健室で胸をさわられた」と話す6年生の女子生徒もおり、山下にはA子さん以外にもかなりの余罪があると思われます。

 

山下は、白川小学校には赴任してまだ1年でしたが、教歴は30年にもおよびますので、他校でも多くの被害者が出ていたのではないでしょうか。

 

しかしここでも、生徒の人権や安全より管理責任を問われることの方を嫌う学校・管理職の隠蔽体質からか、田口校長は「保護者の誤解はすでに解けている」という本人の弁明をそのまま鵜呑みにして山下を放任していたのです。

 

A子さんはじめ被害にあった子どもたちの心身に深い傷が残ったのではないかと思うと、教師という立場を悪用して小児性愛的欲求を満たそうとした性犯罪者・山下司はもちろん、保身しか考えない身勝手な大人たちの責任は厳しく問われねばならないでしょう。

 

②教え子と「交際」して懲戒免職になった異色教師(大阪府池田市、1982年)

 

『FOCUS』(1982年10月29日号)

 

1982(昭和57)年10月15日、大阪府立池田高校の教諭だった山田啓司(33歳)が、未成年の教え子と性的関係を持ったとして大阪府教委から懲戒免職の処分を受けました。

 

山田は、大阪外国語大学(2007年に大阪大学に統合)を卒業後、西成高校を経て池田高校に着任しました。

 

風貌も行動も異色の教師だったようですが、課外活動には熱心に取り組み、自分の専門である「朝鮮語研究会」を創って指導していました。

 

その研究会のメンバーの一人だった女子生徒と山田は、妻子があるにもかかわらず交際を始め、深夜まで連れ回すようなことをしていたそうです。

 

そして、卒業後も交際を続けたことから、女生徒の両親が府教委に訴えて処分されたのです。

 

山田は、「政治的なことで校長や教頭から煙たがられていたから、生徒との交際を口実に処分された」と主張しているようです。

 

この記事だけからは詳しいことがわかりませんが、山田は既存の秩序にあえて逆らうという「ツッパリ教師」的な思想信条を持っていたのかもしれません。

 

自分自身がリスクを承知でそうした信条で行動するのは自由ですが、そこにまだ未成年で、教師と生徒という対等ではない立場の人間を巻き込み、生徒にとっては「強者」である自分の意志に従わせることは、たとえ女生徒がそれを望んでいたとしても、決して彼女の人間性と将来性に配慮した適切な行為とは言えないでしょう。

 

悪質さの程度は違いますが、最初にあげた岐阜の事件の久世繁仁と同じ身勝手さを、山田に感じざるを得ません。

 

③教え子など女子小学生にわいせつ行為を繰り返した音楽教師(兵庫県西宮市、1986年)

 

『FRIDAY』(1986年3月21日号)

 

1986(昭和61)年2月26日、西宮市立小松小学校の音楽教師・堀田三紀男(38歳)が、大阪府茨木市で強制わいせつ致傷の現行犯で逮捕されました。

 

この日の午後、大阪府箕面市の小学校でリコーダーの公開授業が行われ、堀田もそれに参加していましたが、授業を途中で抜け出し、車で「獲物」を物色していたようです。

 

茨木市内でたまたま見かけた下校中の小学5年の女子(11歳)を見つけて尾行し、彼女が家に入ると追いかけるようにして「お父さんにテレビの修理を頼まれた」と嘘を言って上がり込んだ堀田は、家族が留守であることを確認すると少女の首をいきなり絞めて「声を出したら殺す」と脅し、下着を脱がせてインスタントカメラで下半身を撮影しました。

 

買い物に出ていた母親が帰宅して「泥棒!」と叫んだので堀田は逃げ出しましたが、別件で近所に来ていた刑事に現行犯逮捕されたものです。

 

大阪府立箕面高校を卒業し、一浪して大阪音楽大学器楽科に入学した堀田三紀男は、卒業と同時に音楽教師になります。

ところが、「性に合わない」と2年で退職した堀田ですが、1981(昭和56)年に再び教職を希望して西宮市教委に採用されました。

 

逮捕後の取り調べで、「5年前(1981年)に大阪の新世界で買った少女のワイセツ写真を見て興奮し、自分も撮りたいと思った」と供述しているそうですので、初めから女児へのわいせつ目的と児童ポルノへの興味から小学教諭に復帰したものと思われます。

 

赴任した複数の小学校で、「相撲を取ろう」「隠れんぼをしよう」「催眠術をかけてあげる」などと女子生徒を誘ってはわいせつ行為をしていた堀田は、ある学校で「音楽教室に小学4年の女児を連れ込んで下着を脱がせた」と母親から訴えられたこともあったようです。

 

ところが、学内でそうした悪評が以前から立っていたにもかかわらず、学校も西宮市教委も形ばかりの「調査」をしただけで、「熱心に指導する教師」だと堀田を放置していました。

①の事件もそうでしたが、学校の管理職や教委の非行教師への対応の鈍さと甘さには驚かされます。

 

ちなみに、1984年に結婚した堀田には、妻と7ヶ月の子どもまでいたそうです。

 

④グレた女子生徒と性的な関係をもったまじめで研究熱心な教師(福島市、1986年)

 

『週刊実話』(1986年10月23日号)

 

福島県伊達郡の聖光学院高校で電気と物理を担当していた教諭・本間雄司(37歳)が、1986(昭和61)年9月29日、福島県青少年健全育成条例違反の容疑で福島署に逮捕されました。

 

調べによると本間は、1985年の5月から8月にかけて、同校の2年生だったA子さん(16歳)と福島市内のモーテルで数回にわたって性的な関係を持ったとのことです。

 

A子さんは、不良グループの男子と一緒に行動することもあった生徒らしく、1985年の2学期が始まるとすぐに退学し、本間との関係はそれで切れたようです。

 

その後、職にもつかずに1986年8月に福島市内の繁華街を深夜うろついていたところを補導され、その取り調べの中で1年前の教師との性関係を話したのが本間の逮捕につながったのです。

 

東北学院大学工学部を1972(昭和47)年に卒業した本間は聖光学院高校に勤め、1975(昭和50)年には結婚もして、学校では陸上部の顧問をしていました。

 

物静かで研究熱心、生徒に対しても親身に生活指導をする教師として学校や保護者、生徒からの信頼が厚く、A子さん以外には生徒との不適切な関係の噂もなかったようです。

 

「立場を利用して男女の関係を強引に迫ったとんでもない教師」と週刊誌はスキャンダラスに書き立てましたが、本件が単に性欲を満たす動機から手近な生徒に関係を迫った教師によるわいせつ事件なのかは、疑問の余地があるように思います。

 

というのも、先に触れたようにA子さんは家庭環境に恵まれないなどの理由から当時グレかけていたらしく、そうした生徒に親身になって接するうちに、教師も人間である以上、情が動かされたということはあるだろうからです。

もちろん、どのような事情があるにせよ、未成年の教え子と性的な関係を持ったことに弁解の余地はなく、そこに本間の甘さと軽率さがあったことは事実です。

 

その結果、逮捕されたその日に本間は同校を懲戒免職となりました。

 

⑤教え子との「淫行」で逮捕された“熱血先生”(滋賀県大津市、1985年)

 

『FRIDAY』(1985年11月29日号)

 

未成年者との性行為については、それを禁止・処罰する法律がいくつかありますが、④の事件で問題とされた都道府県が制定している「青少年保護育成条例」もその一つです。

 

そのうち、福岡県の同条例について、結婚を前提にしたような真摯な合意に基づくものも含めて一律に規制しようとするもので、処罰の範囲が不当に広すぎ憲法違反であると訴える裁判がありました。

 

それに対して最高裁は、1985(昭和60)年10月23日、結論としては同条例を合憲とする判断を下しました。

ただし、3名の裁判官は少数意見として違憲の判断を述べ、また多数意見も処罰の対象については限定する解釈を示しました。

 

この点については後で少し詳しく見ることにしますが、条例への合憲判断が出てから最初の逮捕者となったとして雑誌が取り上げたのがこの事件です。

 

1985年11月7日、滋賀県大津市立粟津中学校教諭の藤河一己(30歳)が教え子と性的関係を持ったとして逮捕されました。

 

藤河は、1978(昭和53)年に滋賀大学教育学部を卒業し、非常勤講師を経て粟津中学の数学教師になりました。

彼は、優しくてまじめな良い先生と生徒の評判はよく、クラブ活動(卓球部)にも力をいれる“熱血先生”タイプだったそうです。

 

そんな藤河を慕って独身時代の彼の下宿には、女子生徒が多く出入りしていたようですが、その中で教え子だったA子さん(当時16歳)と1983年5月と84年6月の2回に渡り、自分の下宿で性的関係を持ったというのが逮捕の理由です。

また藤河は、A子さんだけでなく他の女子生徒とも同様に関係を持ったのではないかと疑われています。

 

A子さんと関係を持って1〜2年たってからの逮捕となったのは、先にあげた条例が処罰対象とする範囲の問題と関係するのですが、藤河が1984年8月に結婚してA子さんとの関係を清算したことから、「結婚の意志もなく欲望を満たそうと、A子さんの未成熟を利用して性をもてあそんだ」と警察が判断したからです。

 

藤河は逮捕の翌日に釈放されましたが、どのような処分になったのか、この記事が出た時点では未定です。

 

 

サムネイル
 

小川里菜の目

 

人間にとっての性的な関係は、互いの非常にプライベートな領域にまで踏み込むもので、単なる身体生理的な欲求/満足に還元されない人の内面にも深く関わるものだと思います。

 

それだけに性的行為は、それがなされる人間関係のあり方次第で、互いを尊重し愛情を深めることで生きる喜びの源にもなれば、逆に性暴力のように人の尊厳を踏みにじって心身を深く傷つけるものにもなります。

 

ですから、状況に応じて判断力や思考力を適切に働かせたり、自他に責任ある行為をするには未熟で経験も乏しい未成年者を、性的な侵害の危険から社会(オトナ)が守らなければならないのは当然のことでしょう。

 

そこで、子どもを性的被害から守るための法律を簡単に見ておきましょう。

 

まず、「児童福祉法」は34条で「児童[18歳未満の者]に淫行をさせる行為」を禁止しており、違反者には10年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金が課せられます。

ここで言う「児童に淫行をさせる行為」とは、具体的には学校の教師と生徒のように、事実上の有形無形の影響力(上下関係)が認められる関係において、その影響力を使って性的な行為をさせることです。

 

また、性的な行為にあたって金銭を与えたり、写真を撮影するなどをした場合には、「児童買春・児童ポルノ禁止法」(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)によって処罰されることになります(児童買春の場合は、3年以下の懲役又は500万円以下の罰金、児童ポルノの場合は内容によって3年か5年以下の懲役又は300万円か500万円以下の罰金)。

 

さらに都道府県の定める「青少年保護育成条例」が、青少年の健全な育成を阻害する恐れのある性行為等(淫行)を禁止し、罰則を定めています。

ただ先に見たように、その範囲を青少年に対する性行為一般にまで一律に広げるのは不適切な場合がある(婚約中またはそれに準ずる真摯な交際など)として最高裁は、禁止される「淫行」とは「青少年を誘惑し、威迫[いはく:おどす、不安に思わせる]し、欺罔[きもう:だます]し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱っているとしか認められないような性交又は性交類似行為」であるとする解釈を示しました。

 

それでは、学校の教師による性非行(淫行)はどのくらい起きているのでしょうか。

1980年代にさかのぼってのデータは得られませんでしたので、比較的最近の場合で見てみます。

 

 

上のグラフは、公立の小・中・高・特別支援学校などの教員で「わいせつ行為等」(わいせつ行為+セクシャルハラスメント)で懲戒処分を受けた人数です。

この数字はいわゆる「認知件数」ですので、実際に起きた件数はこれよりかなり多い可能性があります。

 

詳しい内訳が分かる2019(令和元)年度で見ると、処分者数は273人で、教員全体の0.03%です。

ちなみに、同年度に体罰によって処分を受けた教員数は約2倍の550人(0.06%)です。

 

273人のうち、セクハラを除くわいせつ行為での処分者は174人(教員全体の0.02%)で、その7割以上の126人が児童生徒(児童:小学生、生徒:中高生)など未成年者に対するものでした。

 

わいせつ行為の相手の属性

 

また、わいせつ行為での被処分者174人のうち実に98.3%(171人)までもが男性です。

 

教員全体に占める被処分者の割合は、年齢層別に見ると、20代(0.04%)、30代(0.03%)、40代以上(0.01%)、学校種では、小学校(0.01%)、中学校(0.02%)、高校(0.03%)となっています。

 

教師のほか医師や警察官などもそうですが、人を教え導いたり救ったりする職業についている人間の犯罪は、社会的にも注目されマスコミなどでも大きく報道がなされます。

 

それでは、上で見たような教員におけるわいせつ行為の発生率は、社会全体のそれと比べてどうなのでしょうか。

これについても、発覚した件数(認知件数)での比較なので、実際にもそうなのか断定はできませんが、森脇正博・榊原貞宏「教員の「わいせつ行為」に関する統計的再分析」によると次のようになります。

 

「わいせつ行為」の発生率の比較

 

全国を100としたときの

教員による「わいせつ行為」発生率の推移

(上の表の右端の数値のグラフ化)

 

このように、年度によって増減はありますが、2000(平成12)年から2015(平成27)年までの16年間の平均では、教員による「わいせつ行為」の発生率は全国の約1.4倍で、すべての年度で全国の発生率より高くなっています。

 

今回取り上げた事件には、①や③のように小児性愛が疑われる事例がありましたが、未成年者への性犯罪をおこなう可能性を個人の性癖として持ったり、色情症のような過剰性欲者が「わいせつ行為」発生率の高さ(1.4倍)ほど教員に多いとは思えません。

ただ、職場のセクハラでも上司が部下にというケースが多いように、生徒に対して優越的な立場に教師があるということは生徒への性非行の誘因としてあるでしょう。教師が自覚し自制すべき点です。

 

そして教師による性非行を減らすためには、男性の性意識/性欲求を身勝手な快楽指向に流されないようどう育むかというそもそもの問題、単なる知識・技能の授受にとどまらない人間どうしの関わりの中で「情」の部分も求められる教育労働をどう歪まないようサポートするか(特に若い教師に対して)という問題、さらには精神疾患による病気休職者が2019年で5478人(全教員の0.59%)にものぼる教員の過酷でストレスに満ちた労働環境をどう改善するかという問題、などに取り組む必要があるのではないでしょうか。

 

教員の犯した性非行の罪は厳しく問われる必要がありますが、個人を「わいせつ教員」としてやりだまにあげ、「教育の荒廃ここに極まれり」(『FRIDAY』)と他人事のように嘆いて見せるだけでは、事態は何も改善しないのではないかと思う小川ですショボーン

 

今回取り上げた5件以外にも

多くの記事がありました!

 

参照資料

・事件を報じた雑誌各号

・最高裁判所大法廷「福岡県青少年保護育成条例違反」判決文、1985年10月23日

・「青少年健全育成条例違反における淫行と真摯な交際」新銀座法律事務所法律相談事例集

・文部科学省「令和元年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」

・森脇正博・榊原貞宏「教員の「わいせつ行為」に関する統計的再分析」『京都教育大学紀要』132号、2018

 

 

問題が問題だけに、とても硬い内容・文章になってしまいましたが、最後までお読みくださり、どうもありがとうございました🥹✨