昭和に流行した

悲劇を呼ぶ

シンナー遊び

 

『FOCUS』(1983年9月2日号)

 

この写真は、昭和58年9月に雑誌『FOCUS』が「終電車のシンナー遊びー少女たちの危険な“夏休み”」と題して掲載したものです。

 

記事によると、京浜東北線磯子行きの終電車に乗り合わせてこの場面に遭遇した出張帰りの会社員が、たまたま持っていたカメラで撮影した写真だそうです。

 

最初は、15〜16歳と思われる3人の少女が、1本の缶ジュースを仲良く回し飲みしているように見えたそうですが、どうも様子がおかしい。そのうち真ん中の少女が気分が悪くなったのか右の少女の膝の上に倒れ込みました。

右の少女は、隣の男性が持っていた「チエの輪」を借りて遊んでいます。

この時、缶は左端の少女の手にあり、このあと彼女は、缶の中からシンナーの染み込んだくしゃくしゃのティッシュを取り出して嗅ぎ始めます。

 

午前1時前、ちょうどシンナーが尽きたころ、気分が悪くなった少女を抱えるようにして3人は東神奈川駅で下車し、闇の中に消えていったそうです。

 

ちなみに写真で、真ん中の少女の足元に見える白い棒のようなものは、これが撮られる前に彼女らが回しのみしていたタバコの吸い殻です。

1997(平成9)年3月22日までは、JRも私鉄も電車内での喫煙が禁止されていなかったのです。

 

記事には最後に、「昨年1年間に、シンナーなどの有機溶剤を乱用して警察に補導された少年は4万9638人、このうち中学生は1万1637人、高校生は6872人で、5年前に比べ、中学生は2.5倍に急増している」と書かれています。

 

「シンナー」は、トルエンやキシレンなどを成分とする有機溶剤(塗料や接着剤などを薄めるための液剤)の総称です。

常温で揮発性に富むシンナーは、その蒸気を吸い込むと脳に作用して中枢神経を麻痺させ、現実には味わえない多幸感や恍惚感が得られることで、1963(昭和38)年ごろから都市部の10代の少年を中心に流行し始め、1968(昭和43)年ごろには全国に広がりました。

 

シンナーには依存性(有機溶剤依存症)があり、やめられずに吸引し続けると心身にさまざまな悪影響が生じます。

 

「シンナー乱用防止マニュアル」より

(2009年3月、大阪市作成)

 

また、幻覚や妄想が起こったり、気持ちのコントロールができずにちょっとしたことで攻撃的になったりすることから事故や事件の原因にもなり、覚醒剤や違法ドラッグへの入口にもなります。

 

シンナーが安価でどこででも手に入ることが「シンナー遊び」を誘発していると考えられたため、1972(昭和47)年に「毒物及び劇物取締法」が一部改正され、シンナーを「摂取もしくは吸入又はこれらの目的による所持については、1年以下の懲役もしくは3万円以下の罰金又はその併科」が、また「情を知っての販売又は授与については、2年以下の懲役もしくは5万円以下の罰金又はその併科」が課せられるようになりました。

 

しかし、法改正の直後こそシンナー乱用(濫用)による検挙・補導者数が減少したものの、その後はまた増え、2010年以降に急減してほぼなくなるまでシンナーの問題は続いていきます。

「犯罪白書」1983(昭和58)年版

 

ただ、シンナーと入れ替わるように大麻での検挙者数が激増します。

 

警察庁調べ

平成21(2009)年〜平成30(2018)年

 

以下、1970〜80年代にシンナーの乱用が関係して起きた事件から、小川の目にとまった6件を取り上げ、概要を紹介します。

 

①シンナー乱用の息子を父親が殺害(名古屋市、1972年)

 

朝日新聞(1972年8月23日夕刊)

 

1972(昭和47)年8月23日の午前6時ごろ、名古屋市緑区の農業・早坂茂(当時48歳)が、シンナー中毒の息子を殺したと警察署に自首し、殺人容疑で緊急逮捕されました。

 

殺されたのは長男の無職・達志さん(同21歳)で、1970(昭和45)年ごろからシンナー遊びをするようになり、これまでに4回病院に入院し、8月17日に退院したばかりでした。

 

自供によると、23日の午前4時半ごろ、寝ていた達志さんを父親が起こし、「このままでは再発する。勤めに行った方がいい」と説教したことから口論となり、持っていたクワの柄で息子をめった打ちにし殺害したものです。父親は殺意は否認しています。

 

達志さんは高校卒業後に就職しますが、シンナー遊びを覚えてから会社も休むようになって、1971(昭和46)年に会社を辞めて精神科病院を転々としました。

 

達志さんはシンナー遊びをやめようと思っていたようですが、会社をやめてから友人もおらず、自動車も事故を心配した親に取り上げられ、寂しさからシンナー遊びを続けていたのではないかと見られています。

 

②シンナー常習者の息子を殺して父も自殺(千葉県君津市、1980年)

 

朝日新聞(1980年12月26日)

 

1980(昭和55)年12月25日午後5時半ごろ、会社員の守国治(当時60歳)宅で、長男の晴雄さん(同30歳)が首を絞めて殺され、父親も首をつって死んでいるのを無断欠勤を心配して訪ねてきた国治の同僚が見つけ警察に届け出ました。

 

居間のこたつの上に「晴雄を殺した」という走り書きがあったそうです。

 

晴雄さんは定職につかず、シンナー遊びでこれまでにもたびたび警察に検挙されていたようで、父親が思い余って息子を絞殺し、自分も自殺した無理心中事件でした。

 

③シンナー常習の長男が両親を刺殺(千葉県市川市、1984年)

 

朝日新聞(1984年3月4日)

 

1984(昭和59)年3月3日の午後7時ごろ、千葉県市川市の中島一男さん(50歳)が自宅から100メートルほど離れた食料品店に助けを求めて駆け込み、救急車で病院に運ばれましたが、首をナイフで刺されており、大量の失血により亡くなりました。

 

自宅の1階では、妻のテイ子さん(52歳)も同様に刺されて失血死していました。

 

警察は、2階で返り血を浴び顔面蒼白で座っていた長男の中島清貴(25歳、無職)を、殺人の現行犯で逮捕しました。

清貴はシンナーの常習者で、この日も夕方からシンナーを吸ってもうろうとなり、両親と口論した後、母のテイ子さんを文化包丁で、父の一男さんを登山ナイフでそれぞれ首を刺したものです。

 

清貴は逮捕時もその後の取り調べでも、怒鳴るばかりでほとんど話もできない状態だったそうです。

 

この事件については、裁判での精神鑑定で、清貴が長期のシンナー乱用により、他人が両親にすり替わっていて自分を殺そうとしているという「カプグラ症候群」と呼ばれる妄想に取りつかれていたと考えられることから、心神耗弱が裁判で認められました。

弁護側は心神喪失を主張して控訴しますが、東京高裁は1987(昭和62)年5月26日に控訴を棄却し、一審判決が確定しました。

 

④看病に疲れた母親がシンナーを吸い発作的に子を絞殺(東京都三鷹市、1984年)

 

朝日新聞(1984年6月13日夕刊)

 

1984(昭和59)年6月13日午前1時半ごろ、東京都三鷹市のアパートに住む店員のA子(19歳)から「子どもを殺した」との110番がありました。

警察官が駆けつけたところ、1歳11ヶ月になる長男が首を絞められて亡くなっていたため、A子を殺人容疑で緊急逮捕しました。

 

長男は8日の夜から高熱を出し、医者にもかかりましたが10日になっても熱が下がらず、看病に疲れたA子は部屋にあったシンナーを吸い、11日の午後6時半ごろ発作的に長男をアイロンのコードで絞殺しました。

その後、A子は自分も死のうと山梨方面に向かうも死にきれず、12日夜に家に戻って近くのスナックで酒を飲んだ後、110番通報したようです。

 

A子には1982年に結婚した夫(25歳)がいましたが、パチンコ好きで仕事をしないため、1983年4月から子どもを連れて別居していました。

 

⑤シンナー遊びで高校生ら4人が死傷(千葉県八千代市、1985年)

 

朝日新聞(1985年2月4日)

 

1985(昭和60)年2月2日の午後11時40分ごろ、千葉県印旛郡のゴルフ場の駐車場に停めていた乗用車が炎上し、乗っていた4人のうち高校1年生の田久保功さん(16歳)と会社員の柴田勇さん(19歳)が焼死、工員の山崎雅弘さん(21歳)が全身やけど、大工の椎名勝さん(21歳)が軽いやけどを負いました。

 

4人は遊び仲間で、午後8時ごろから車2台に分乗して市内をドライブしていましたが、シンナー遊びをしようとなり、田久保さんの家からトルエンの入った4リットル缶を持ち出してゴルフ場の駐車場に行き、一台の車に4人が入ってシンナー遊びをしていました。

 

窓を閉め切っていたため、車内に気化したトルエンが充満したところにタバコの火が引火して爆発的に炎上したもので、後部座席の二人は即死状態でした。

運転席と助手席の二人は逃げ出しましたが、並べて停めていたもう一台の車にも燃え移るほどの火の勢いは激しかったようです。

 

記事では、1983(昭和58)年にシンナーの乱用で補導された少年が5万1千余人と、1972(昭和47)年以来の最悪を記録したと解説しています。

 

⑥車にシンナー中毒死と見られる6人の遺体(神奈川県海老名市、1986年)

 

       ↓(拡大)

朝日新聞(1986年9月5日夕刊)

 

1986(昭和61)年9月5日の午前10時すぎ、神奈川県海老名市の農道に停まっている乗用車の車内で、若い男女6人が死んでいるのを通りかかった人が見つけて通報しました。

 

車の前部座席に男2人、後部座席に男2人と女2人が乗っていて、車は内側からロックされており、シンナー臭がすることからシンナー中毒死したと思われます。

 

この車の前方にもう一台無人の車が停められていることから、6人はこれら2台に分乗して現場まで来たようです。

ただ、車の所有者とその家族に該当者がいないことから、この記事の時点では17〜18歳の若者と見られる6人の身元は不明です。

 

これらの他にも、さかのぼると次のような事件がありました。

 

⑦シンナーの量が多すぎて死亡(東京都大田区、1968年)

 

朝日新聞(1968年9月13日)

 

⑧シンナー常習の元暴力団員が短銃を乱射(沖縄県久米島、1977年)

 

朝日新聞(1977年8月28日)

 

⑨シンナー乱用などで非行グループの中学生56人を補導(東京・千葉、1980年)

 

朝日新聞(1980年7月7日夕刊)

 

サムネイル

小川里菜の目

 

ビニール袋に入れたシンナーを吸う様子があんぱんを食べるしぐさに似ていることから、「シンナー遊び」は俗に「あんぱん」とも呼ばれていたそうです。

 

1967年ごろ新宿で

 

麻薬よりも安価で手に入れやすいシンナーは、手軽に酩酊状態になれることから、諸外国でも乱用されることが多く、日本で流行する前の1960年代前半にはアメリカの若者の間で大流行したそうです。


「シンナー遊び」は、好奇心から遊び感覚で始めるほか、いろいろな困難を抱えた若者が、生きづらい現実から一時的に逃避するための手段としても行われました。

 

また、シンナーは冒頭の写真にあるように友人と一緒に吸うことも多く、友人関係を抜けることが難しいために一緒に深みにはまってしまうケースもあったようです。

 

シンナーの乱用が脳の萎縮など取り返しのつかない心身へのダメージを引き起こすことが知られるようになったこともあって、2010年代後半になると乱用者は激減しますが、先に見たように、代わりに大麻(マリファナ)や違法/脱法ドラッグなどが若者の間で流行するようになります。

 

「それを飲めば、現実がどんなにひどくても(たとえば奴隷として酷使されているなど)、辛さを忘れてたちまち幸福感が得られ、悪い副作用もまったくない薬が発明されれば、それを飲んで幸せになりますか?」という思考実験の問いがあります。

 

その薬で幸福感(快感)を得られたとしても、代わりに苦痛が消えることで抵抗する気力も失われ、悪しき現実は何も変わることなく続いていくのです。

 

鎖につながれながらも、うつろな目で幸せそうな微笑みを浮かべている姿を想像すると、小川だけでなく多くの人はゾッとすると思います。

しかも、上の問いとは異なり、実際にはシンナーや麻薬などには大きな害悪があります。

 

けれども、生きづらい現実がありそれを抜け出す希望がないと思われる時には、虚しさや危険性を予感しながらも「幸福の薬」に手を出してしまうのはあり得ることでしょう。

 

最初にあげた『FOCUS』の記事は、次のように書いています。

 

『FOCUS』(1983年9月2日号)

 

「こんな少女時代を送って、彼女たちは将来、いったいどんなオトナになるのだろう? おそらく、このコたちはいま、とても不幸なのだ。(略)シンナーを吸ってみたりするのは、たぶん、そのためなのだろう。そんなことをしていても幸せにはなれない。幸せになりたかったらもっと別のことをしなければならない、と誰かがいってやらねばならない。」

 

上から目線の説教くささを感じさせる文章ですが、それならオトナたちは「不幸」な彼女らに、どんな「別のこと」(幸せになれるという希望)を語れるというのでしょうか。

 

小川には、自分もそれなりの「不幸」を背負いながら生きている者として、「シンナー」で得られるその場かぎりの虚ろな幸福感に逃げず、苦悩をバネに今とは異なる別の可能性を、自分なりの希望の種を、遠くにも足元にも目を向けて粘り強く探してみようよと声をかけることしかできません。

 

「幸せ」とは、結果として得られる何かではなく、与えられた生を懸命に生きようとする過程でその人自身が見つける何かだと小川は思うからですキョロキョロ

 

 

余談ですが、

仕事帰りに公園で少し枯れかけている紫陽花を見つけました!

その時に、もう紫陽花の季節になっていたことに気づきました汗

毎日仕事に追われていて、紫陽花を見る余裕もなく気づかないまま通りすぎていたんだなって……ネガティブ

 

なので、帰り道にあるお花屋さんによって紫陽花を購入しましたニコニコ

 

 
自分に花を買ったことなんて、一度もなかったんですが……にっこり花
夜、紫陽花を眺めながらブログを書いていきます🖥
 
 
小川のヘルプカードを7名の方にご購入頂きました🥰
ありがとうございます🙇
宣伝くださった方にも感謝申し上げます🙇
 

 
 
これからも宜しくお願いいたしますニコニコ飛び出すハート