横浜 ホームレス

襲撃殺害事件

 

1983(昭和58)年
 
このブログでは、「浮浪者」「プータロー」など当時の言い方を当事者の言葉で使っていますが、基本的には現在主に用いられる「ホームレス」という言葉を使います。
なお、辞書によると英語のホームレス(homeless)は、居住権があり安心できる住居がない状態を指すと同時に、そういう状態にある人たち全体を指す集合名詞で、個々の人を指して使う言葉ではないとのことです。
 
(写真:ビッグイシュー基金)
 
【事件の概要】
 
山下公園(1981年撮影、横浜市史資料室)
 
今からちょうど40年前のことです。
1983(昭和58)年2月5日の午後10時ごろ、横浜市の山下公園で野宿していた青森県出身の須藤泰造さん(60歳)が若者の集団に襲われ、殴る蹴るなどの暴行を受けました。
 
須藤泰造さんは、青森で15歳からお菓子屋で丁稚奉公をし、やがて召集令状が来て「満州」に出征しました。
敗戦後に復員して結婚し、夫婦で餅屋を始めます。
当時、正月準備で餅屋が一番多忙になる年末、夜通し働きづめだった夫婦は、疲れてついうとうとと眠り込んでしまったのですが、その時、須藤さんの妻は冷たい土間で寝てしまったために、翌朝夫が気がつくと彼女は凍死していたそうです。
癒しがたい悲しみを背負った須藤さんは、この事件があってから流浪の生活を送るようになり、あの日、山下公園で野宿していたのです。
 
こうした須藤さんの人生の重さ哀しさを想像することさえできない少年たちは、彼が動けなくなってからも執拗に暴行を続け、肋骨4本骨折に内臓破裂の重傷を負わせたのです。
 
須藤さんは、うめき声をあげて倒れているところを通行人に発見され、病院に救急搬送されましたが、2日後の2月7日午前5時過ぎに亡くなりました。
 
襲った若者グループが判明したのは、その一人で中学生の少年が「プータロー狩りって、カネがかからない上に面白い。先日も一人ぶっ殺してやった」と女友だちに自慢げに話したため、驚いた彼女がそのことを母親に相談、母親が少年の親に伝えて大騒ぎになり、警察に届け出たからです。
 
それを受け神奈川県警は、不良少年グループの10人を割り出して、2月12日に障害致死の容疑で全員を逮捕しました。
 
朝日新聞(1983年2月12日夕刊)
 
逮捕されたのは「恐舞連合」を名乗る中学2年3人(14歳)、同3年2人(15歳)、高校定時制1年1人(16歳)、無職の16歳少年4人です。
 
彼らは、小学校の同級生や中学の先輩・後輩、ゲームセンターなどで知り合った仲間で、無職少年の1人が借りている南区のアパートをたまり場にしていました。
 
彼らは、同年(1983)1月に対立する不良グループ「中華連合」とのケンカに負けたことから、ケンカに強くなる練習台にとホームレス襲撃を始めたようです。
 
朝日新聞(1983年3月2日)
 
しかしそのうち、集団暴行をゲーム感覚で「遊び」として楽しむようになり、自分たちの縄張りを「パトロール」しながら襲撃を繰り返していました。
 
事件のあった2月5日も、須藤さん襲撃に先立って横浜スタジアムのスタンド下で寝ていた9人のホームレス男性を襲い、一人に重傷を負わせています。
 
横浜スタジアム
 
その後、「もう少しやっつけねえと気分がスカッとしねえなあ」と山下公園に移動し犯行に及んだようです。
 
【少年たちと時代背景】
未成年ということから、少年たちについての詳しく正確な情報は得られませんが、読売新聞が以下のように伝えるところでは、彼らのほとんどが平穏な家庭環境・生活環境に恵まれず、中学で不良グループに入ったり家出をしたり、非行や補導の履歴があったようです。
 
 
また、ちょうど1970年代後半から80年代前半にかけては、中学校を中心に校内暴力が最も激しかったころです。
 
 

朝日新聞(1980年12月26日)
 
窓ガラスの割られた中学校
 

1986(昭和61)年に起きた「岐阜高校教師教え子殺人事件」を取り上げたブログで小川は、子どもたちが置かれていた時代状況について次のように書きました。

 

 


↓↓↓↓↓

高度経済成長の時代が完全に終わった1970年代の半ば以降、日本社会は過酷な競争・選別・格差の時代へと突入していきます。

学校や生徒も偏差値によってランクづけされ、競争から「落ちこぼれ」た子どもたちが不登校になったり荒れて非行や校内暴力に走るようになります。

 

朝日新聞(1980年6月19日)

 

そうした「問題生徒」を体罰を用いた厳しい訓練で叩き直すと豪語し注目を集めた戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長が訓練生を死亡させ逮捕されたのは、まさにこの事件が起きた1983年の6月でした。

 

『FOCUS』(1983年6月24日号)

 

しかし「落ちこぼれ」は、本人の学習能力自体に問題があるというより、親や家庭にさまざまな問題を抱えた子どもたちが、勉強に集中できたり学習塾に通ったり親に励まされたりといった学力を育む環境・条件を欠いていたことの方が原因として大きいのです。

 

ところが、荒れる生徒に手を焼いた多くの学校や教師は、いわゆる「腐ったミカン」論(箱の中の腐ったミカンはすぐに取り除かないと他のミカンまで腐ってしまう、というリクツ)で、体罰で抑え込むか、さもなければ彼らを学校から排除するという対応を取ったのです。

 

そうした対応は、彼らから将来への夢や希望、学習意欲をさらに奪うという悪循環をうみます。「落ちこぼれ」とされた彼らにとって自己を肯定する唯一の方法は、学力競争や序列、校則や教師の権威など、大人社会が押しつける価値や法・ルールを無視し、傍若無人なふるまいで周囲の注目を集め優越感を得る、つまり「ツッパる」ことによってでしかなかったのではないでしょうか。

 

 

この事件の少年たちの卑怯・卑劣としか言いようのない行為にも、そうした面があったのではないかと思います。

 

しかし、そのような「ツッパリ」は一時的な憂さ晴らしにしかならず、より強い刺激(スリル)を求めて行為だけ暴走し、人の命を奪うまでにエスカレートしていきます。

 

逮捕された少年たちは取り調べで、「横浜を綺麗にするためにゴミ掃除をしただけ」などと述べたそうですが、彼らの背中を押していたのは、公園などに野宿するホームレスは社会の「落ちこぼれ」であり「ゴミ」のように無価値でむしろ有害な存在でしかないと見る大人社会に支配的な差別的眼差しだったのです。

同じその眼差しによって、彼ら自身が「落ちこぼれ」とおとしめられているにもかかわらず、です。

 

【少年たちへの処遇】

逮捕された10人の少年グループには何件もの余罪があったはずですが、検察が立件できた2月5日の行為だけで同年3月4日に家庭裁判所に送致されます。

 

検察官がつけた処分意見は、保護観察(施設に収容せず、保護司の指導監督のもとで更生をはかる保護処分)1人、教護院(現在の児童自立支援施設)2人、少年院7人でした。

 

それに対して横浜家庭裁判所は3月30日、1人を教護院に、残り9人を少年院にと、検察意見より重い処分を下しました。

 

朝日新聞(1983年3月31日)

 

少年だった彼らも、今では50代半ばの中年男性になっているはずです。

無惨に奪われた須藤泰造さんの命を虚しくしないためにも、自分が若いころに犯してしまった罪をいつまでも心に深く受けとめて、真っ当な人生を歩んでいて欲しいと願うしかありません。

 

サムネイル
 

小川里菜の目

横浜市内では、すでに1975(昭和50)年ごろからこの事件と同様の少年によるいわゆる「浮浪者狩り」事件が起きていました。

 

被害にあったホームレスが警察に訴え出ても相手にされないことが少なくなく、正確な件数は把握できていないようですが、この事件のグループ以外にも複数のグループがホームレスを遊び半分に襲っていたようで、重傷者や死者まで出ています。

 

また、公園や河川敷でホームレスに暴力を加えるのは主として中高生などの少年や大学生のようですが、繁華街では酒に酔ったサラリーマンが加害者になるケースが多く、ホームレス襲撃事件=若者に特有の犯罪とは限りません。

 

横浜で多くの事件が起きているのは、ホームレスの人口の多いのが大阪・東京・神奈川だというのが理由です。

2022年の調査ではこの3都府県に全国のホームレスの66%が集中しています。

近年(2020)では、岐阜で81歳のホームレス男性が大学生ら5人の若者から石をぶつけられて殺害される事件(岐阜市ホームレス襲撃殺害事件)が起きているように、同様の事件は全国各地でも起こっています。

 

ホームレスは自分と「同じ人間」ではなく、人権など尊重する必要もない無価値・有害な存在なので、ストレスのはけ口にしていじめても殺しても構わないのだというこの弱肉強食社会に広く流布し共有されている暗黙の了解=「弱者」への蔑視・賤視が、ホームレス襲撃という「ヘイトクライム」(特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や憎悪が元になって引き起こされる犯罪行為)の基礎にあるのだと小川は思います。

しかも、「弱者」が自分よりさらに劣位の「弱者」とみなす人を蔑視・攻撃して「スカッとする」(自分のパワーを感じ優越感を得る)というのが、この事件の救いのないところです。

 

【ホームレスの実態と現状】

厚労省の「ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)」(2022年1月実施)の主な結果は次のとおりです。

 

 

ここにも見られるように、ホームレス数は減少を続けています。

 

(グラフ化:ビッグイシュー基金)

 

その背景には、2002(平成14)年にできた「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」(以下「ホームレス自立支援法」)に基づく施策があります。

厚労省の次のサイトに関係資料のURLがまとめられていますので、詳しく知りたい方はご覧ください。

 

 

ホームレス自立支援法ではホームレスを「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」と定義しています。

 

この定義については、ビッグイシュー基金(「ホームレスの人たちを中心に困窮者の生活自立応援」等の事業を行っているNPO法人)が、イギリスでは「家はあるが経済的理由で維持できない」「友人宅などに居候している」「28日以内に家を失う可能性がある」といった人も「ホームレス支援」の対象にしているのと比べ、たとえば都内だけで一晩に4千人いるとされる(2018、東京都調べ)いわゆる「ネットカフェ難民」など「見えないホームレス」が視野に入れられていないと指摘しています。

 

ビッグイシュー基金の目指す包摂社会

 

横浜駅前でビッグイシューを売るホームレス男性

(2023年は定価450円の同誌を売ると230円が彼の収入になる)

 

 小川もビッグイシュー買いました


 

そうした不十分さを残しながらも、ホームレス自立支援法とそれに基づく「基本方針」(2003年に策定、最新の方針は2018年策定)によって、「ホームレスの自立の支援、ホームレスとなることを防止するための生活上の支援等」(自立支援法、第1条)に関する必要な施策が講じられることになりました。

 

また、2013(平成15)年には「生活困窮者自立支援法」ができ、先ほどあげたホームレス定義の狭さからくる支援対象の限定をある程度補うことができるようにもなりました。

 

 

こうしてホームレス支援のための施設であった「ホームレス自立支援施設」と「ホームレス緊急一時宿泊施設」は、ホームレスだけでなく生活困窮者も対象にした「生活困窮者・ホームレス自立支援センター」と「生活困窮者一時宿泊施設」に名称・役割を変え、自立相談支援事業と一時生活支援事業が行われるようになりました。

それが2003(平成15)年の2万5296人から2022(令和4)年の3448人へと約20年で2万1848人(86.5%)もホームレス数が減少する結果につながっています。

 

【重要になる目的と考え方】

小川は今は関西在住ですが、親の仕事の関係で子どものころに東京や横浜で暮らしたこともあります。そのころの記憶にうっすらあるのですが、都心の公園や河原などには段ボールとブルーシートでできたホームレスの「住まい」がたくさんありましたし、市街地の通路の片隅にも宿泊に使われる段ボールと布団が片づけられて置いてありました。

その光景は、東京でも大阪でも、今ではほとんど見ることがなくなりました。

 

それを自立支援施策の成果として嬉しく思いながらも、手放しで喜ぶだけでいいのか気になることもありますので、最後にいくつか小川が感じたこと、考えたことを書いておきます。

 

厚労省が2021(令和3)年11月に実施した「ホームレスの実態に関する全国調査」(1300人への面接調査)によると、ホームレスの高齢化が非常に進んでいます。

この調査では、60歳以上が全体の7割を占め、中でも全体の3人に1人は70歳以上の人です(2016年の調査より14.7%も増加)。

また、年齢との関係は分かりませんが、健康状態が「よくない」「あまりよくない」人が34.9%(同、7.8%増)で、そのうち6割以上が治療等を受けていません。

調査項目にはありませんが、中には何らかの障害を持った人もいることでしょう。

そうした人たちを施設に一時的に収容・保護した後、どのような自立支援が実際になされ効果を上げているのか気がかりなところです。

 

この調査結果で小川にとっても意外だったのは、約半数(48.9%)のホームレスが仕事をしている(仕事の66.4%は空き缶などの廃品回収)ことです。

それによる収入は月に平均で約5.8万円とのことです。

家賃も水光熱費もいらないホームレス生活だからこそそれで何とか生活ができてきたのでしょうが、もしも自立支援でアパートを借りて住んだとしたらどうなるのでしょう。

生活保護を受ければ生活は可能だと思いますが、自分で働いて生きているという自負は、人の尊厳にも関わることだと小川は思います。

そのあたりの人間性にも配慮した支援ができているのか心配なところです。

 

また最近では、寝転がれないベンチなど「排除アート」と呼ばれるものが特に都市において目につくようになりました。

それが、一人で長時間ベンチに寝転んで占拠するような迷惑行為を防止するという趣旨なら分からなくもありませんが(迷惑行為がそれほど大きな問題になっているとは思えないですけれど)、もしホームレスなど特定の人を想定してその場からの排除を目的にしているとすれば、寒々とした思いがします。

 

中日新聞「都市で増える排除アート」(前・後編)より

2020年11月1日・8日

 

小川の体験ですが、数年前に沖縄に旅行をした時、帰りの飛行機を一番遅い便にしたのです。

それが運の悪いことに飛行機の到着が遅延したため、余裕で乗れるはずだった終電が出てしまっていて、親に頼んで車で迎えにきてもらうようにしたのですが、待っていた1時間あまり、閉められた駅の周辺には座れるようなベンチもスペースもまったくなく、雨が降る中を荷物を抱えてずっと立ったまま心細い思いで過ごしたことを思い出します。

もしこうした「排除アート」が街のいたるところに設けられたとしたら……と思うと、悲しくなってしまいます。

 

ホームレスになるような人はもともと問題のある人だというイメージがあるかもしれませんが、先の実態調査によると、「路上生活の直前の雇用形態」として正社員が45.8%、臨時・パート・アルバイトが23.2%となっています。

そして「路上生活に至った理由」は、「仕事が減った」24.5%、「倒産や失業」22.9%、「人間関係がうまくいかなくて、仕事を辞めた」18.9%と、不運な偶然によって誰もがおちいる可能性のある理由です。

 

病気や失業などいったん何かでつまづくと生活のどん底まで一気にすべり落ちてしまうセーフティーネット(安全網)の機能しない社会を「すべり台社会」と呼んだのは、反貧困の社会活動家である湯浅誠氏ですが、ホームレスへの支援が最後のセーフティーネットの一つだとすると、それは当事者たちの人権や尊厳を尊重し、「健康で文化的な最低限度の生活」(日本国憲法第25条)を保障するという目的・考え方に基づいたものでなければならないでしょう。

 

 

万が一にも、「汚く」「目ざわり」なホームレスを「美しく」「健全」な生活空間から排除・隔離することで市街地や公園を美化したいという意識が社会の「空気」として働いているようなことがあれば、それはホームレス襲撃を「汚いゴミを掃除しただけ」と言ったあの少年たちと同じ眼差しをホームレスに向けていると言わざるをえません。

そしてそうした眼差しが増幅し拡散すれば、私たちの社会は「弱者」をさらに追い詰めるような生きづらさの底が抜けた社会になってしまうのではないかと小川は怖れるのですショボーン

 

参照資料

・朝日新聞ほか新聞の関係紙面

・厚生労働省の調査(本文中で紹介)

・坂元忠芳「人間的つながりを深めるためにー子どもの心を見つめて」(『教育科学研究』第6号、1988)

・村田らむ「ルポ「ホームレス」」(東洋経済ONLINE、2018〜2020に連載)

・『週刊女性』編集部「“働かざる者”とバッシングする前に読んでほしい「ホームレス」カネ・食・住の実態」(『週刊女性』2020.07.14号)

・大西連「2020年東京オリンピック——「ホームレス排除」のない社会を目指して」

・北村年子『ホームレス襲撃事件と子どもたち いじめの連鎖を断つために』太郎次郎社、2009

※この本は、1995年10月に起きた「大阪 道頓堀川ホームレス襲撃事件」を中心に取り上げていますが、最後に1983年から2009年にかけて未成年が起こした同様の事件がリストアップされ、概要が紹介されています。↓

 

読んでくださり、ありがとうございました🥰