【被害者の松本浩二さんとは】

この事件の被害者は、青山学院大学4年生の松本浩二さん(当時23歳)で、彼は卒業後に、国が設立した唯一のパイロット養成機関である航空大学校(現在は独立行政法人)への入学が決まっており、国際線のパイロットになるというかねてからの夢に向かって大きく踏み出そうとしていた矢先に、命を奪われてしまったのです。

 

事件のあった「グリーム野毛」(現在)

(2階左から3つ目の部屋) 

 

松本さんは大阪府出身で、高校時代は陸上の短距離選手として活躍し、大学ではヨット部に所属して3年生の時に全国大会3位の成績を上げたスポーツマンでした。

また交友関係も良好で、困っている人がいたら放ってはおけない好青年だったようですが、この事件ではそれがアダとなってしまいます。

 

松本さんが無惨な遺体となって発見されたのは1994(平成6)年2月18日で、発見したのは2日前から息子と連絡がつかなくなったことを心配した母親から様子を見てきてくれるよう依頼された東京在住の妹(松本さんの叔母)でした。

 

 

自室の玄関近くに血まみれで横たわった松本さんの遺体は、腹部と頭部を刃物で刺され、首にはビニール紐が巻かれていました。

通報を受けた警察が捜査したところ、松本さんの部屋と隣室との間に血のついた足跡が発見され、隣室に入ると血のついたタオルなどが見つかりました。

警察はすぐにこの部屋の住人Aさん(当時20歳)を探し、2月6日から実家の宮崎に帰省していることを突き止めて事情を聞きました。

 

【隣の住民Aさん】

この住民Aさんによると、前年(1993)の5月、中学時代に交際したことのある女性が訪ねてきたのですが、それは「美人局」(つつもたせ:女がターゲットの男を誘惑し、誘いに乗ったところで「オレの女に手を出したな!」と共犯の男が現れて因縁をつけ、金銭を巻き上げる恐喝行為)の罠で、現れた連れの男性から2度にわたって金を脅し取られていました。その男から「近いうちにそちらに行く」という電話がまたあったために、怖くなったAさんは実家に逃げ帰っていたというのです。

 

さらに警察は、同アパートや近隣の住民からの聞き込みで、2月15日の深夜に人の争う声や物音が聞こえ、また16日の朝には見知らぬ男女がAさん宅から出てきたという証言を得たため、Aさんの知人女性とその連れの男性を有力な容疑者として行方を探しました。

 

朝日新聞(1994年2月19日)

 

【隣に住む松本さんを恐喝することに】

ほどなくして思わぬ出来事により二人の行方が判明します。2月22日に、熱海の別荘に無断で侵入していた男女が、押し入れにガスコンロを持ち込んでガス心中を図ったものの、男が「最後の一服」とタバコに火をつけたため充満したガスに引火し爆発、軽傷だった女が119番通報して全身火傷を負った男が入院するという騒ぎがありました。

警察が住居侵入容疑で事情聴取をしていたところ、女は世田谷で大学生を殺したとあっさり自供したため、二人は殺人容疑で逮捕されました。

 

松本浩二さんを殺害したのは、いずれも住所不定無職の出水智秀(当時20歳)と飯田正美(同20歳、Aさんの中学時代の交際相手)の二人です。

 

【犯人の出水智秀とは】

『殺人者はそこにいる』(「新潮45」編集部編)によると、出水智秀は、工員であった父親の暴力が原因で両親は彼が生まれてすぐに離婚し、ホステスをしていた母親に引き取られます。しかし生活が苦しく、母親は自宅で売春することを余儀なくされたようで、出水は幼いころから母親が客の男を自宅に連れ込むのを見て育ったそうです。

今であれば明らかに虐待とされるこうした境遇は、出水の人格形成に当然大きな負の影響を与えたことでしょう。

 

非行に走った出水は傷害や窃盗で少年院に入りますが、退院後に更生支援で水道工事会社に就職します。

けれども、親の生き様を見てきた彼にとっては、「こつこつまじめに働く」など、馬鹿らしく虚しいこととしか思えず、苦労せずにお金を手にいれ、それでパーッと遊んでから死ぬという、文字通り破滅型の生き方しか考えられなかったようです。

しかし出水の行動は、ガス自殺を図りながらタバコに火をつけるという愚かな行為からも分かるように、よく考えた上での行動ではなく、何から何までその場の欲求や思いつきによる行き当たりばったりなものでした。

 

【共犯の飯田正美とは】

一方の飯田正美も、幼くして両親が離婚し、妹と一緒にタクシー運転手だった父親に引き取られ父方の祖父母宅で暮らしますが、父親はすぐに子どもたちを捨てて行方をくらまします。

祖父母は高齢で生活は楽ではありませんでしたが、飯田は非行に走ることもなく、私立高校の保育科を卒業した後、岐阜県揖斐郡にある紡績工場に就職します。

その会社では女子工員を集めるために、会社が入学金を負担して短期大学の夜間部(3年制)に通えるという制度を設けており、飯田も昼間は工場で働きながら夜は短大の幼児教育科で学び、保母(現在の保育士)の資格取得を目指していました。

 

一日8時間の工場での立ち仕事はかなりきつく、おまけに夜間に勉強という生活を送っていた飯田にとって、唯一の楽しみは休日に名古屋や岐阜の繁華街で遊ぶことだったようです。

 

そして事件の一年前の1993(平成5)年2月ごろ、名古屋市内の繁華街に遊びに来ていた飯田を出水がナンパするという形で二人は出会います。

それを機に、二人は人生の破局に向かって走り出すことになります。

 

この時点で出水がまだ水道工事会社に勤めていたのかは分かりませんが、彼は飯田に転々と場所を変えながら車上荒らしや窃盗を繰り返そうと誘い、彼女もそれを受け入れて勤め先の寮から私物を引き取ることもせずに消えてしまうのです。

飯田は時折そんな生活を嫌って別れ話を切り出すこともあったようですが、結局は出水と別れることができずに従います。

 

大阪、名古屋、東京、宮崎、福岡と全国を転々としたせいもあるのでしょうが、思ったほどの金が稼げないことで出水が思いついたのが、先に見た「美人局」です。

飯田の中学校の同級生Aさんを罠にかけた美人局で、彼らは2度にわたってある程度の金を脅しとれたことに味をしめ、3度目を狙ってAさんに(これも愚かなことですが)予告電話を入れます。そのためにAさんは、難を避けて宮崎の実家に逃げてしまいます。

 

2月11日、ほとんど無一文の出水と飯田がAさん宅を訪れますが留守のため、出水が裏から雨樋を伝って2階に上がり、ベランダから室内に侵入して飯田を玄関から中に入れます。

二人は室内を探して1万1千円の現金を見つけ、それで食いつなぎながらAさんが帰るのを待ちました。

 

ところがAさんは一向に帰る気配がなく、室内のテレビなどを質屋に持って行って換金しようとしますが、身分証明が必要だと聞いて断念します。残金が千円を切ってせっぱつまった出水は飯田に、一緒に死のうと持ちかけます。

 

まず飯田が先にビニール紐で出水を絞殺することにして、彼女は出水の首を失神するまで紐で絞めますが、トドメを刺さずにやめたため、出水は息を吹き返します。

次に順番を換えて飯田が先に首を吊って死ぬことにし、彼女は実際に首をくくりますが、今度は出水が飯田を途中で抱きとめてしまい、結局心中は失敗に終わります。

 

その時、出水が唐突に提案したのが「隣の学生を脅して金を奪おう」ということでした。

そこで飯田が松本さん宅を訪れ、「換気扇の調子が悪いので見てもらえませんか」と頼んだところ、松本さんは快く引き受けて隣室に行きますが、そこには果物ナイフをかざした出水が待ち構えていたのです。

 

ナイフを突きつけて松本さんの自室に行った出水は、手足を縛って現金5万3千円とキャッシュカードを奪います。さらに金を要求する出水に松本さんは、「友人に貸した金があるし、必要ならサラ金からも借りる。黙っているから5万円ぐらいで殺さないでくれ。」と懇願します。

しかし出水はそれを無視して、「この世の思い出に、飯田を抱かせてやる」ととんでもないことを言い出します。

飯田もさすがにそれを拒みましたが、出水が執拗に迫るので仕方なく行為に及びます。ところが、飯田の体が反応するのを見た出水は、形相を変えて飯田を松本さんから引き剥がし、自分が代わって行為を遂げたのです。

 

事が終わって出水が殺害を口にしたのを聞いた松本さんは、緩んでいた紐をほどいて逃げ出そうとしましたが、慌てた出水が松本さんを羽交締めにし飯田が包丁を彼の腹に突き立て、それから二人で腹、胸、頭、首を何箇所も切りつけ、さらには首をロープで絞めてとどめをさしたのです。

 

2月16日の朝、アパートを後にした出水と飯田が、熱海の別荘に侵入して22日の夜にガス爆発事故を起こし、それがきっかけで逮捕に至ったのは先に述べたとおりです。

 

朝日新聞(1994年9月5日夕刊)

 

1994(平成6)年3月5日、東京地検は出水と飯田を住居侵入、窃盗、強盗殺人の罪で起訴し、9月5日の判決公判で東京地裁は、求刑通り出水に無期懲役、飯田に懲役15年の判決を下して確定しました。

 

なお、逮捕後に飯田は妊娠7週目であることが判明しましたが、産むという彼女の意志により、判決の翌10月に女児を獄中出産したことも話題となりました。

 

 

サムネイル

小川里菜の目

 

国際線のパイロットという夢の実現に向かって努力を重ねてきた松本浩二さんが、期待に胸を膨らませて人生の新たな一歩を歩み出そうとしたその矢先に、何の落ち度もないにもかかわらず突然にむごたらしく命を奪われたこの事件は、本人やご家族の無念さという点からも、類を見ない凶悪なものだと思います。

 

それだけに、軽薄で自分勝手な振る舞いから松本さんを殺めた出水や飯田に対して、どのように厳しい制裁を課しても収まらないほどの憤りを感じるのは小川だけではないでしょうショボーン

 

けれどもここでは、あえて冷静になって考えてみたいと思います。ただし、客観的な裏づけがあっての話ではありませんので、小川の推測にとどまることをあらかじめお断りしておきますビックリマーク

 

小川の抱いた疑問は、出水と飯田はお互いに何を求め何によって結びついていたのかということです凝視

 

先に見た生い立ちのように、出水は暴力的な父親によって家庭を壊され、生活苦から母親が家に客を引き入れて売春をする姿を見て育ちました。父親はもちろんのこと、出水は母親からも適切なケアを受けられる状況に当然なかったことでしょう。

 

それだけに、自分を無条件に受け入れてくれる母親的なものを、出水は求めていたのではないでしょうか。そして出水は、たまたま出会った境遇の似た飯田にそれを期待したように思います。事実飯田は、時には抗う様子を見せながらも、結局はすべて出水の言いなりになります。

 

しかしそれだけでは安心できなかった出水は、嫉妬心を露わにしながら、飯田にAさんはじめそれまでの男性関係を執拗に問い詰めては飯田を自分だけのものだと確認しようとします。

松本さんとの性関係を飯田に強いた異常さも、性的な嗜好などではなく、飯田への一種の「試し行動」だったのではないでしょうか。

飯田が拒否し通すか、あるいは途中でできないと訴えれば出水はそれなりに満足したのかもしれません。しかし、飯田が性的に反応した様子を見せたことで出水は形相を変えます。その後で松本さんの殺害を口にしたのも、彼に対する嫉妬心・敵愾心のゆえだったのかもしれません。

 

出水は、自分を受け入れて言いなりになる存在を求めましたが、彼に本当に必要だったのは規範意識や生きる姿勢を親身に教え諭してくれる存在だったはずです。ところが、そうした人がまったくいない中でただ従順な飯田を得たことにより、出水の迷走は歯止めがかからなくなってしまったように思います。

 

一方で飯田は、高校卒業後に紡績工場に勤めながら保育士を目指すという地味で堅実な人生を送ろうとしたように見えますが、それは必ずしも彼女の本意でなかったように思います。つまり、まじめな彼女は、両親に捨てられた自分と妹を育ててくれた祖父母への負い目から、長女として一日も早く自立せねばと思う一方で、本当はもっと楽しく面白く自分の好きなように生きたいという強い潜在欲求を持ち続けていたのでしょう。

 

そしてそんな時に出会った、見た目は暴力団員風ながらひょうきんで人を笑わすのが上手だったという出水を、自分をこれまでとは違う生き方へと連れて行ってくれる「運命の人」のように思い込み、人生を委ねたのではないでしょうか。

そうでなければ、私物も寮に残したまま突然に勤め先から姿を消すような非常識な行動を、まじめな飯田がなぜしたのか理解できません。

 

しかし飯田の思い違いは、出水が熟慮とも計画性とも指導力とも責任意識ともまったく無縁な、その場の思いつきと勢いだけで当てもなく漂流する人間だったことです。

出水がすぐに口にした「死ぬ」という行為においても、いかにいいかげんで行き当たりばったりなものだったかは、すでに見たとおりです。

 

彼ら二人が、親のネグレクトの犠牲者だったのは確かに不幸なことでしたが、だからと言って松本さんの未来ある人生を奪って良いことにはなりませんプンプン

 

飯田は、妊娠した子どもを産むかどうか問われた時、「子どもまで殺したら2人殺すことになってしまうから産む」と言ったそうです。

しかし彼らに考えさせねばならないのは、自分の犯した罪と真摯に向き合い、もしもう一度生き直すチャンスが与えられたなら、今度こそどう生きるかを真剣に考えて行動しないと、松本さんの死をまったく無意味なものにすることになる、つまり松本さんを2度殺すことになるのだということです。

 

 

 

参照資料

・「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる 逃げきれない狂気、非情の13事件』新潮文庫

 

 

 

 
読んでくださった方!ありがとうございます🥹
来年も小川のことを宜しくお願いいたします✨
 

書きながら甘いお菓子が止まらないです笑い泣き