新橋第一ホテル女性歯科医殺人事件
 

週刊現代 1972年7月13日号
 
新橋第一ホテル女性歯科医殺人事件(1972年)から 2022年6月26日の今日で、ちょうど50年が経ちました。
 
谷脇キヌ子さん
 
【事件の概要】
1972(昭和47)年6月26日、東京の新橋第一ホテル新館3階304号室で、熊本県八代市の歯科医 谷脇キヌ子さん(当時37歳)がベッドの上で全裸で殺されているのが発見されました。
遺体には、死後に性的暴行を受けた形跡がありました。
 

発見したのは、被害者と一緒に八代市から上京していた歯科医の男性2人とホテルの従業員です。

 
谷脇さんと男性歯科医2人は、前日から霞ヶ関ビルの12階で開催されていた歯科医向けの講習会に参加するため、2日前に東京に来ていました。
谷脇さんが朝になっても起きてこないのを不審に思った2人が、ホテルの従業員と共に彼女の部屋を開けてみると、谷脇さんは変わり果てた姿でベッドに横たわっていたのです。
 

朝日新聞(1972年6月26日)
 

【行き詰まった捜査】

警察は、谷脇さんが犯人を部屋に招き入れたように見えることから顔見知りの犯行と考え、まず熊本から一緒に上京し同じホテルに宿泊していた男性歯科医2人を事情聴取しました。ところが遺体に遺された体液から判明した犯人の血液型「O型-非分泌型」が2人と合わず、また部屋や彼女のバッグに付着していた指紋とも一致しなかったのです。

 

朝日新聞(1972年6月27日)
 

【東京の恋人】

次に、谷脇さんが毎月の講習会で上京するたびに「情事」を重ね、事件の前日も「旅館」で会っていた不倫相手である東京の先輩医師、そして彼女が趣味であるダンスのクラブで知り合った男性、さらには谷脇さんが事件の日に購入代金を支払う予定だった歯科器具の営業マンが疑われたましたが、結局彼らも血液型や指紋が一致せず、またアリバイが成立して容疑が晴れました。

こうして捜査は暗礁に乗り上げ、ついに犯人が分からぬまま事件は迷宮入りとなったのです。

 

週刊朝日(1972年6月号)
 
【死者にムチ打つ週刊誌報道】
谷脇さんは殺人事件の被害者であったにもかかわらず、この事件を取り上げた各週刊誌は、彼女の私生活に好奇の目を向け、次のようなタイトルで競うように書き立てました。
 
「夫も知らなかった2児の母のもう一つの夜の私生活」
「女歯科医の奔放なプライバシー」
「あまりに高くついた東京アバンチュール」
「谷脇さんは女王さま」
 

朝日新聞(1972年6月28日)
 
郷里には仲の良い夫と子どもが2人(小学3年生の長女と小学1年生の長男)おり、患者からの評判も高い丁寧な仕事ぶりの開業医でありながら、派手な衣装に身を包んでダンスに興じたり、毎月上京しては愛人との密会を重ねていた谷脇さんを、まるで殺された本人にも少なからず落ち度があると言わんばかりに週刊誌は書いたのです。
死者にムチ打つ、まさに「セカンドレイプ」です。
 
【被害者である谷脇さんはなぜ叩かれたか】
1960年代の戦後の高度経済成長を通じて日本では、団塊の世代の若者の多くが地方から都会に出て会社や工場で働くようになりました。
核家族化が進み電化製品に囲まれた団地暮らしをする「サラリーマンの夫と専業主婦」という家庭が一般化していきます。
夫は外で働き妻は家事育児に専念するという性別役割分業が広がった時代でした。
 
この時代には、女性は結婚したら「家庭」に入るものとされたのです。
 
女性の会社勤めは「腰掛け」と言われたように一時的なもので、職場で前途有望な男性に出会い恋をして、結婚を機に仕事を辞めるいわゆる「寿(ことぶき)退社」が働く女性の憧れでした。
 
家庭に入った専業主婦の女性は、夫の稼ぎで生活をやりくりしながら子どもを産み育てること、つまり夫に仕えて家を守る貞淑な「良妻賢母」であることが求められました。
 
だから谷脇さんのように女性が歯科医という専門職につき、元トラック運転手だった夫の方が歯科技工士の資格を取得して妻の下で働き、家の事ももっぱら夫が担当するという夫婦は、当時では特異な存在だったのでしょう。
 
八代市の谷脇歯科医院
 
しかも谷脇さんは仕事ができるだけでなく服装もオシャレでダンスという趣味を持ち(夫との仲を取り持ったのもダンスだった)、さらには東京には胸ときめかせて会う恋人までいたのです。
 
 
そのように、家事もせずに夫に運転させた愛車フェアレディでダンスに通うような女なら、私生活や「裏の顔」を暴かれ叩かれても当たり前だと当時は思われたのでしょうか?
 
しかし、もしこれが男女逆であったらどうなのでしょう。
つまり稼ぎの良い歯科医の夫には、医院も手伝いながら家事育児もこなす妻がおり、華やかさを隠さぬ趣味人で、愛人と家庭を壊さない程度の「アバンチュール」も楽しんでいる——そういう夫が殺人事件の被害者になったとしたら、週刊誌は「妻も知らなかった2児の父のもう一つの夜の私生活」と好奇の目で書き立てたでしょうか。
 
被害者でありながら谷脇さんに対して冷たい視線が向けられる中で、ノンフィクション作家の桐島洋子さんは、雑誌『微笑』(1972年8月26日号)で次のように書いています。
 
    

「彼女も、家にあれば良き妻、子どもたちにはとても良い母親であったのだろう。彼女が東京で知らない男と踊ろうと、デートしようと、非難することはできない。彼女は、何を悪いことをしたのだろう。何もしていない。こんなことがなければ、また、すてきなデートができたものを。とてもすばらしい交際だと思う。中年女性にとっては、相手はある程度インテリジェンスをもった男性でなければ面白くない。だが、たいていの場合、中年女性の浮気相手は、くだらない男が多いものだ。彼女の場合は、大学の同窓で、しかも立派なお医者さま。すばらしいではないか。」

 

サムネイル
 

読んでくださった方へ

 

ブログを読んでくださり、ありがとうございましたニコニコ
50年前の新聞記事や週刊誌を探して手に入れるのに、一週間ほどかかりました💦
この事件は朝倉喬司さんの「誰が私を殺したの」と「女性未解決事件ファイル」で知りましたビックリマーク
 

 

  

 

 私はなぜか1977年にリリースされた井上陽水さんの「ダンスはうまく踊れない」の曲がどうしても谷脇さんとかぶってしまい、このブログを書きながら、ずっと聴いていましたにっこり
 
 
これからも、昭和に起きた事件をどんどん書いていこうと思いますおねがい

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