昭和に起きた教師・指導者による暴力事件⑥

 
戸塚ヨットスクール事件⑤
 
卒業生が殺人者に!!—暴力は暴力を生んだ!
 
 

 
「体罰は、『進歩、進歩』と子供の進歩を思いやりながらやる。単なる暴力とは違います」と戸塚宏は言う(『週刊朝日』2006年5月19日号、「あの戸塚宏が帰ってきた!」)。
 
「しつけのつもりだった」という子どもを虐待死させた親の言い訳とどこが違うのだろう。
 
暴力を「進歩、進歩」「しつけ、しつけ」と念じながら振るいさえすれば「単なる暴力」ではなくなり、それで命が奪われても「不幸な事故」でしかないとでも言うのだろうか。
 
事件を追いかけるのが好きな私は、1995(平成7)年に起きたオウム真理教事件にも関心があるが、教団には「ポア」という殺人を肯定する教義があったそうだ。
教団にとって不都合なことをする人間は、悪行を重ねているために地獄に落ちて苦しむことになるのだから、早く殺して悪行を止めてやることがその人自身を救う善行になるという独りよがりなへ理屈である。
きっと教祖の麻原彰晃も、「ポアは、『救済、救済』と相手の救済を思いやりながらやる。単なる殺人とは違います」と戸塚のように言うことだろう。つまり、加害者の意図さえよければ、暴力も教育に、殺人も救済になるというのだ。
 
そのような独善的な考えで「体罰は必要」と言い続ける戸塚宏やヨットスクールが影響を与えた暴行・虐待死事件が相次いで起きている。
 
①静光親子塾事件(1985)
岐阜県郡上郡大和村にあった私設の「情緒障害者」矯正施設「静光親子塾」で、入所していた訓練生(20…当時、以下同じ)が深夜と翌朝、塾長の 西村賢一郎(22)に「お前はふだんの動作が鈍い。いつも仮病を使う」などと顔や腰をこぶしや鉄アレイで殴られたり、太ももを蹴られたりしたため、外傷性ショックを起こし亡くなった(『朝日新聞』1985年2月5日付朝刊)。
 
 

                        朝日新聞 1985年2月5日付朝刊
 
西村は、1979(昭和54)年に約3ヶ月間戸塚ヨットスクールの訓練生だったが、退所後「暴力による指導でない矯正施設を作りたい」と希望し、父親の出資で施設を開所したという。
 
西村としては戸塚ヨットスクールを反面教師にしようと思ったのかもしれないが、ヨットスクールでの体験から彼が学んだのは、結局のところ「暴力による指導」でしかなかったようだ。
 
もしそうだとすればこの事件は、被害者が次には加害者となり、暴力が暴力を生む「暴力の連鎖」の恐ろしさを私たちに教えているのではないだろうか。
 
②風の子学園事件(1991)
広島県三原市の小佐木島にあった「情緒障害児らの矯正」を掲げる無認可施設「風の子学園」で、園長の坂井幸夫(67)が、喫煙を理由に16歳の少女と14歳の少年を真夏の炎天下、手錠をかけて飲食物も与えず44時間(2昼夜)コンテナに監禁し、熱射病死させた。
 

              
 

 
「登校拒否の8割を治す」とPRして園生を集めていた坂井は、園の前身で「スパルタ教育」を取り入れた合宿施設「飛渡瀬青少年海洋研修所」を作るころに戸塚ヨットスクールを訪問しており、その後にも2回、計3回戸塚と会っている(3回目は保釈後の戸塚が風の子学園を訪れている)。
 
「施設の運営や情緒障害児の治療方法などをアドバイスしたことはない」と直接の関与を戸塚は否定するが、坂井園長について「一徹な感じがしたが、悪い印象はなかった。同志ということで激励に来てくれたのではないか」と語るように、両者が基本的な考え方に通じ合うものを感じ、坂井が戸塚の暴力手法を参考にしたことは容易に推測される(『朝日新聞』1991年8月5日付夕刊、「戸塚ヨットがヒント? 三原・風の子学園園長、校長と会う」)。
 
ちなみに坂井は、監禁致死罪で懲役5年(2人の命を奪って!)の実刑に服したが、出所後に女子高生への猥褻行為で逮捕され、懲役2年の実刑判決を受けたという(Wikipedia)。
 
教育・治療の名の下に教師や指導者の暴力を容認すると、どのような悲惨な事態が引き起こされるか、私たちは決して忘れてはならない。
 
続く。
 
 

 



 

YouTubeの方もよろしくお願いいたしますおねがい飛び出すハート