母の手術のことは、過去にも書いています。


私にとって、忘れることのできない

出来事だったからです。


それから数年

母は何回かの抗がん剤治療によって

頑張ってくれました。


一緒に旅行に行ったり

思い出を増やすこともできました。


しかし

いよいよ抗がん剤治療をしても良い結果にならず

気力も無くなり

母の人生も残り少なくなりました。


その頃、母は父と一緒に

私たちとは数百キロ離れた地域に住んでいました。


子供たちも休みの時期ということもあり

私たちはそれぞれ時間をみつけては

母に会いに行く日々が続きました。


だんだん食べられなくなり

激やせして、骨が浮き彫りになっていく母


余命宣告をされた時から

ある程度の覚悟をきめていましたので

あれから数年も生きていてくれたことに

感謝していました。



それでも

どんどん痩せていき、痛みと戦う母を見るのは

つらいことでした。




そんな中、別居中の夫はというと








ウキウキ不倫絶好調中







お相手のいない時には、

私たちにラインをしてきますが

この頃は、夫からの連絡は全くありませんでしたので、新しい恋が始まったんだな、と

私も娘も気づいていました。



私は、母の手術以降

母の病状を夫に知らせることはありませんでした。


それは、母の命が残り少なくなってきた

この時も変わりません。



母は強い人でした。

プライドの高い人でした。

美に貪欲な人でした。


どんなにつらくても

最後の入院までは、と

つらい体を起こしてトイレに行っていました。


自分が両親の介護をしてこなかったので

それを娘や孫たちにやらせるわけには

いかない!


それが母のプライドでした。


周りに迷惑をかけたくない!


どんなに辛くても

少しでも動けるならば動く人でした。


そろそろ

母の限界が近づいてきた頃


私は母に

これから私がしようとしている

私の非常識な行動について

話しました。