バルセローナのテロ行為に強い怒りと悲しみを訴えます。

 

 

こんばんは!

 

スペインは南米・中米を制覇し、或る意味“輝かしい歴史の一ページ”は持ったものの、同じヨーロッパという土壌にありながら一度として、ドイツ、フランス、イギリス、その他スイスや北欧と云った国々の上をスポーツと一部の芸術以外で何一つ越したことがなく、ヨーロッパでは或る意味軽蔑の対象であったところが、願っても叶ってもない莫大な外国投資の流入とEU連合の形成で“晴れて、我らヨーロッパ諸国”と毎日豪語する事ができるようになった“幸運”はあるものの、おそらくEUの舞台裏ではスペイン国民がいつもテレビを通して見て信じている程、スペイン代表が大きな顔をできているかと言えば、そうではないと考えます。つまり、相変わらず、烈強国との位置関係は、あらゆる分野で、何も変わっていないし、又、国民にも“追いつけ!追い越せ!”の“意志は全くなし”。 つまり、一つ一つコツコツと“努力する”ことはできないし、するつもりない。 

 

しかし、何処から来るのか分かりませんが物凄い“プライド”と、それ故の内部に潜む物凄い“コンプレックス”も半端なく混在しており、なんせあるがままの現状に浸って努力の仕方が分からないようですから、その精神的掃け口のひとつが中国や日本のような国に向けられ -アフリカでは向けてもしかたなく(笑)ー 例えば、日本の悲惨(広島・長崎の原爆、福島原発事故、地震や津波や台風などの自然災害)な面、日本人が見ても奇妙と思える面を頻繁に放映する事で、スペイン国民に“励ましと優越感を植え付け、なんて私達は幸せなんだ!”と思わせる意図があるのではないかと、うがった見方さえしてしまいます。 

 

「広島、長崎の原爆はやむを得なっかた。。。。」とアメリカ人同様ですし、先ずその前に、国民はこういった話題には“一切無関心”で、言うならば“Curiosity、映像への好奇心を掻き立てられコンピューターゲームを見ているような楽しみに変わり、メディアは福島原発事故については格好の批判の対象にしています。特に、オリンピック招致運動前後には。

 

つまり、「原発のお陰で豊か(こういった事を分かっているのが不思議ですが)になったんじゃないか! だが、失敗したじゃないか!どう責任をとるんだ!」という意味合いがとても強く、4,5度の地震ですら、「何処何処何処何処の原発には異状は見られませんでした」とか、本当に驚くほど執拗に取り上げます。