なくしたときに初めて気づくこと。
あるものには意識が行かなくなり、存在を忘れているのに、なくしたと思うと急に意識が行くようになる。
人はあるものには無頓着であるのに、ないものには執着する。
なぜそのようにできているのか。
大事なものであると思っていても、意識が行かなくなっていることで、ないものと同じになっている。
その状態は悪い状態ではなく、心地よいはずの状態である。
だが、心地よさを感じないのはなぜか。
いつも目的や目標だけを、あるいは前向きであることだけを大事にしているからではないだろうか。
良い意味での上昇志向である。
だが、上昇志向も行き過ぎては、すでにあることを否定し、さらにあることだけをひたすら求める渇望症になるのではないか。
意識は、あることよりもないことに向けられる。
そのことは、人に本来必要な意識に気づかせるためにあるのではないか。
ないことを意識することによって意識が開かれ、気づくことも多くなる。
ないことの意識は、意識の上昇を意味する。
カネよりも愛を選択する意識を上昇させる。
独占、支配することよりも、分配、自由にすることの意識を上昇させる。
このような意識の上昇を、地球は願っている。
一人ひとりが、ないことの重要性に気づき、愛の意識を上昇させる。
あることよりも、ないことが大事だということの意味に気づくだろうか。