人は人からの助けを求める一方で、人を責めることをやめない。
人が生きていくためには争いを避けて通ることはできない。
争いの中にあっても争わない心を確立することが大事だ。
もし自ら争う心になるならば、いずれは破綻する。
人が人を責めるのは、人としての立場で見れば普通のことである。
武力で争うか、言葉で争うか、あるいは無言で争うかの差はあっても、争いは絶えない。
争うことは人として本質的な要素のようである。
例えば、車を運転するときなどには、人の争いの一面がよく出る。
遅い車に対して、あるいはいらっとくる車に対して、罵声を浴びせているのが人である。
車を運転するときには、人の性格が端的に表面に出てくる。
争うことが人の本質であるならば、我々は落胆する気持ちに駆られる。
争うことが本質でありながら、争いを避けたいと思うのが人であるからだ。
どうしてこうした矛盾を感じるのか。
結局は人には自分が見えているようで見えていない。
人は外からの刺激、あるいは外との関係をなくしては、自分を知ることができない。
外との関係がなくても感じられることがその人に他ならない。
だが、そのような境地に至ることは難しい。
まずは自分が人であることを認め、人であることの虚しさを認め、人であることに明るさを見出し、それから人を離れた境地を見ることになるだろうか。