人との関係の上にしか成り立たない自分という感情は、何とも虚しいものである。

人が居なければ自分を認識することもできず、また、自分は人との関係の一部を構成しているに過ぎない。

全体があって部分としての自分があり、部分としての自分があって全体がある。

自尊心をどれだけ高めようが、他人との関係としての全体を見過ごせば、ただの思い違いである。

世の中は思い違いで成り立っている。

全体を忘れ、個々のみが存在するかのような錯覚に陥る。

全体を思う時、自己は消滅し、自己を思う時、全体は消滅する。

本当はそのように割り切れるものではなく、自己は全体の中においてのみ意味を成す。

いかに能力があろうとも、いかに考えが優れようとも、万人に共通する全体を見失っては、ただの錯覚に過ぎない。

錯覚していることがほとんどである。

錯覚せずして人の社会を生きることは難しい。

そこに、人の思いが満たされぬ影が付きまとう。

人の虚しさは他人のものでなく自分のものでもない。

そういった錯覚が私たちを支配する。

錯覚する者には、錯覚は意識されない。

錯覚の中にだけ生きる精神を積み重ねる。

それが今の社会を活性化させることだと人は信じている。

錯覚の上には覚醒があろうか。

さもなければ錯覚は錯覚を忘れさせることのみにある。ガックリメラメラドクロ