過去の自分を子供のときまで振り返ってみると、社会的慣習を嫌い、面白さ、暖かさ、優しさだけを求めていたことが分かる。

しかし、変なプライドを持ち、暖かさと冷たさを併せ持っていたに違いない。

暖かさのみを求めると、こうあるべきだという固定観念から、自分を矯正しようと働く。

本来の自分はこうではない。


もっと違う自分がいる。

そういう思いは、葛藤となり、何とも意味不明な生き方をしてきたことであろうか。


そう考えると、心の内面は変化していないようで、大きく変化している。


ものの捉え方は、大人になったことで格段に広がりを見せたことだろう。


しかし、いつまでも変わらないのが心の核心にある部分だ。


この核心の部分は、生まれながらに人それぞれ持っている感情の部分だと思う。


人としてどうありたいかを思う、性格の部分であると思う。


これが満たされることが、その人に喜びを感じさせるのではないだろうか。


核心の部分は、自分でも忘れてしまっていることが多いだろう。


根底にある願望のようなものである。


人と仲良くしたい、人と自然の中に居たい、人に親切でありたいなどなど、根底には願望が見えたりするものだ。


社会に受け入れられるために、あるいは社会に適応するために、根底にある願望を叶えてあげることは難しい。


何をするにしても自分自身の選択である。


この選択を行った自分は、核心にあった性格のものなのか。


そこのところが、喜びを感じられるかどうかに繋がっていくのだろう。



ドクロドンッ(カク)ドクロドンッ(カク)ドクロドンッ(カク)