人は自分が利用されていると思うと悲しくなるものだ。
しかし、利用されるのを避けるように行動することは個人の成長には繋がらない。
利用させてあげることは、最終的には自らが利用できることに繋がったりもする。
仏の心、広い心を持つと言うことは、そういうことだ。
物事を損得で判断せず、自力による判断を避ける。
与えられるものであれば喜んで与えるのが仏の心である。
そのような献身的態度が、損得、善悪を乗り越えたトランスパーソナル、涅槃、悟りなどの境地に至らしめる。
仏の心は、何事、何者も吸い込んでしまうような慈悲の心である。
善し悪しの一定的な基準に従うほど愚かなことはない。
人の心は移り行くものであり、たとえ一時の行動に誤りがあろうと、次も必ず誤りがあるとは言い切れない。
ちょっとしたことで好転するのが人の心である。
いつの時にも動揺せず進みたいものだ。


(ブタはブタらしく堂々としましょうぞ
)
(フムフム
世にお布施を
)