忘れることは何かと悪者扱いされる。

他人から疑われることもあれば、自分自身でガックリすることもある。

普段使わない漢字などはころっと忘れてしまって自分が情けなくなることも・・・・・・。

試験などを受けるときは、忘れるなんて言うのはもっての他で、以前は私も法律の条文に自己を同一化して踏ん張った。得意げ汗

おばさんの会話なんかには、単語の代わりに必ず暗黙の「あれ」の言葉が混ざってくる。

忘れることは目的を果たすためには大敵とされる。

覚えたことを忘れないようにと、感じることを遮断し、思想を曲げないようにと、感じることをねじ曲げる。

これらは忘れることを大敵とし、人よりも劣ること、低く見られること、知らないことで恥をかくことを恐れてのことである。

しかし、この忘れるということ、情けない一方で、幸せを感じるには必要なことでもあると思う。

幸せを感じる時は、過去の記憶を忘れ、未来の不安を忘れる時である。

本当に幸せを感じる時は、自分がどんな人だったかとか、自分がどんな経験をしてきた人だとか、あるいはどんな理想や夢を持っている人だとかなど、忘れてしまうものだ。

一日のお勤めを終えて、ビールを一杯飲むときの爽快感を感じる際には、すべての記憶や未来などはつまらないものになる。

至高体験のとき、エクスタシーを感じるときなどは特に、そこにはもはや自分という存在など居ないだろう。

我々人は、覚えておくということを人生の最重要課題に捉えているかのように思えて、最大の喜びを感じる時は、すべてを忘れてしまう時であるという過ちを犯している。得意げはてなマーク

年を取ると物忘れが激しくなって嘆きたくなるものだが、忘れるということがあるからこそ過去に囚われず、自由な今に巡り会うことができるのだろう。

我々人は、自分がどんな人であるかをすごく気にするものである。

だが、人は本来、自分がどんな人であるかを気にせず、流れで自然と居合わせた時間に調和できた時に、一番の満足感を得るようである。

我々人は、あまりにも性質を気にしすぎてしまう。

分別ある行動に重きを置き、他人を見るときも分別ある目で見ている。

これに反して、分別の目を外して、忘れることを嫌わなければ、幸せを感じられる機会は拡がりそうである。

空っぽのバカになるときの爽快さは、実は最上のものでもあるのだろう。

宇宙人はてなマーク(ばーかにひひ本ドクロ(ふむふむ) ブタビール(まいう~)天使雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶虹