現統合心理学のケン・ウィルバーは、意識にはいくつかの層があり、自己から外界に向けた人間観で、自己と意識が一体化されたものと、一体化されていないものとの間のどこに境界線を引くかによって、その人が置かれている意識の層が異なることを指摘していた。

自分の脳(心)に境界線を引く場合、自分の脳と体の間に境界線を引く場合、自分の全体と外界との間に境界線を引く場合、自分と外界との間に境界線がない場合に分かれる。

いずれの場合も互いに重なりあうことがあり、常に変化し得ることを指摘していた。

境界の意味するところは、次のように考えられるだろうか。

境界の内側は、体感可能で、場合によってはコントロール可能で、味方の領域と言えるのだろう。

一方、境界の外側は、体感もコントロールも不能で、敵の領域と言ってもいいのだろう。

人間性を高めるためには、境界の内側の領域を拡大することにある。

その一方で、境界の内側を外界まで拡大してしまうと、職業人として生きるには弊害がありそうだ。

よって、自己実現の境界線とも言える、自分の全体と外界との間に境界線が引かれる場合が目指す意識の層であると考える。

しかしながら、現実はどうか。

自分の脳のなかに境界線を引く場合がほとんどで、よく頑張ったところで、自分の脳と体の間に境界線が引かれると言うところだろう。

複雑化した社会で、職場の環境も殺伐としていることが多く、明るい将来が描きにくい状態で、職業人として感じるのは寂しさではなかろうか。

ほとんどの人に寂しさを感じてしまう。

人間が作り出したはずの世界であっても、人間によって人間が阻害された感覚は否めないだろう。

この寂しさの感情こそ、自分の脳のなかに引いた境界線であり、自己と認識できない、境界線の外側に置かれる感情であると考える。

人間性を発展させるために、寂しさの感情を境界線の内側に置くために、寂しさを自己に取り込まなければならない。

これは楽なことではなく、苦痛なことである。

ただ、人生をより価値あるものにするためには、切り離すことができない。

寂しさの感情にどう対処できるかが、今後の課題となりそうだ。