人は、合目的的、論理的になったり、成功、美しさを求めたり、向上心を持ったりすると、それに反する感情的、怠惰的、不確実的、愚かさを自分から除外しようとする。

これはある意味当たり前のことである。

我々は、ある一つの物が、あるときはAであり、あるときはBであるといった不安定さを嫌う。

不安定であると、どう対処すれば良いかわからなくなるためである。

現代社会は、物の特性を分別することによって発展した社会である。

これを人間にも当てはめてしまうのが我々である。

言葉は思っていることを表せるが、その性質上、不確定な言い方をするのを嫌う。

どっち付かずの発言は、意志がはっきりしていないと、反感を持たれよう。

明確に宣言してほしいのである。

ところが、人の心はそんなに単純にはできていない。

まるで、人が心を支配するのではなく、心が人を支配しているのである。

どこかに意識を集中すると、必ず心は集中から分散させ、心の中心に引き戻そうとする。

我々は意志の力によって、ある程度は心を制することもできる。

しかし、意志の力は頭からの命令に近く、心は頭からの命令には従わない。

現代社会で成功をつかむパーソナルな力を磨くと共に、人類共通の心、すなわちトランスパーソナルな力を感じる必要がある。

現代社会では、少なからずダブルライフ、二重の性格、2つの居場所を持たない限り、心の平衡を保つことは難しい。

ものすごく仕事にやりがいを感じて頑張っているのだが、突然、気が抜けたような空虚感に襲われることがある。

心の働きが、意志の働きを攻撃し、意識の集中からその人を解放しようとする。

人の心は単純ではない。

心は、いくつもの意志(意識)の層から成り立っている。

どれかの層だけに留まることを心が許さないのである。