すべての事柄の最後に残るものは愛でしかない。

いろんな形の愛がある。

男女関係、友情、夫婦関係、親子関係、兄弟関係、趣味、仕事、勉強、スポーツ、娯楽などなどに関して。

愛することは、人を愛することだけでなく、物を愛することや、見えないものを愛することだってあり得る。

最終的に愛に繋がらないものは、その人に影響を及ぼさないものと言えるだろう。

その人の人生を生き、その人を成長させるものは愛でしかない。

多くの人の人生においては、愛よりも憎しみや悲しみの方が強くて、愛を認識することができなくなっていると感じる。

人を成長させるものは、最終的には愛でしかない。

愛を欠いた行動は、その人を成長させない。

愛することは努力することである。

努力して積極的に感じなければ、愛する力は得られない。

愛することは簡単に見えて、実は難しいことでもある。

愛する努力の前には、否定的な制限感情がはばかる。

否定的な制限が愛する行動を妨害し、愛は歪曲されたものとなる。

歪曲された愛が、無神経に人を傷つけ、人から愛する感情を奪い取る。

愛は、いろんな形で変形されて、人の感情や行動を支配する。

憎しみや、報復、悲しみや、辛さ、怒りや、見返してやろうという感情、冷たさや、しらけた感情、疎外感や、諦めの感情、息苦しさや、バカにした感情、黙りなどなど、愛はあらゆる感情に変化して人の行動を支配する。

愛とは、人生を通じて学ぶものである。

実体験だけでなく、学習によって学ぶこともできる。

人の根底に存在し、感情として持つことが簡単でない愛なのに、学校や社会で、これを教える場所は少ない。

すべての行動は愛が基準となって派生する。

本当に人を動かすものは愛である。

愛がなければ形だけの行動になり、その人を成長させはしない。

自らの努力で愛する力をつけなければならない。