「いじめ」。 | 深澤里奈オフィシャルブログ「tea journey」Powered by Ameba

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日々、いじめのニュースを耳にするたび
 
胸が痛くなります。
 
今朝「あさイチ」で、「いじめ後遺症」についての
 
放送がありました。
 
少ししか観ることができませんでしたが
 
(後でビデオで観ようと思っています)
 
自分がいじめられた記憶が蘇りました。
 
 
 
 
小学生のころ、クラスの誰も口をきいてくれないことが
 
半年続きました。
 
私が小学生の頃はよく雪が降り、
 
積もれば皆喜んで雪合戦をしたものですが、
 
雪の球の中に、石を入れたものを
 
数人に囲まれて至近距離で標的にされたこともありました。
 
 
 
 
今、この文章を書いていてなんだか胸がしめつけられます。
 
そういうことになったきっかけはなんだったのか・・・。
 
その頃、頭皮に珍しい皮膚病ができ
 
しばらく患部にガーゼを貼り、
 
それがズレないように、ネットをかぶって登校していたことで
 
「オニオンヘッド」
 
と呼ばれたことから始まったような気がしますが
 
それも記憶が定かではありません。
 
 
 
 
あまり詳細を書いても仕方がないので書きませんが
 
その後大人になって、
 
自分はとても自己評価が低いということに気がつきました。
 
それが原因で、やりにくい、生きにくいと感じることも
 
多かったです。
 
でも、環境が変わり、友人に恵まれて
 
「自分が自分の人生の主役である」と
 
思える瞬間がやってきて、
 
もし何かのきっかけでそこからズレて来たとしても、
 
自分なりの方法で軌道修正をする術を
 
少しずつ身につけて来られたように思います。
 
 
 
 
思春期の頃から良い友に恵まれたことに
 
感謝です。
 
 
 
 
社会人になってからしばらく経って、
 
通っていた小学校が廃校に
 
(正確には、近隣の小学校と統合に)なるということで
 
同窓会の類いに全くといっていい程参加しない私でしたが
 
どういう心境の変化か、その式典をのぞいてみることにしました。
 
その頃、「いじめ」によって受けた心の傷を
 
引きずっているようには、自分では感じていませんでした。
 
 
 
 
式典に行くと、当時の担任の女性の先生がいらっしゃいました。
 
卒業以来、初めてお会いしました。
 
女性の、物腰の柔らかいその先生は私に言いました。
 
「あの時、助けてあげられなくてごめんね。」
 
私は、絶句しました。
 
すぐに気の利いた返事ができず、
 
「いえ・・・。」
 
で、終わってしまいました。
 
 
 
 
自分の中で、無意識に「なかったこと」にしていた記憶が、
 
「やっぱり本当にあったことだったんだ」と、
 
封印がとけてしまったようでした。
 
 
 
 
先生も、ずっとお辛かったのかもしれません。
 
 
 
 
被害者も、加害者も、そこに立ち会う大人も、
 
みんな人間で、みんな完璧ではありません。
 
100のいじめがあれば、
 
100通り、あるいはそれ以上の対応が求められ
 
何が正解かなど、誰にも分かりません。
 
 
 
 
親となり、ひとつ思うのは
 
「もし、いじめの被害者になって
 
登校したくないと言ったら、受け入れよう」
 
ということでしょうか。
 
子供にとって、家と、学校が世界の全てです。
 
「居場所」がないことが
 
どんなに辛いことか。
 
解決策は分からないけど、
 
「居場所でいてあげたい」と思います。
 
 
 
 
加害者になってしまったら?
 
それも考えなくてはいけません。
 
 
 
 
どんな子供も、自分が尊い存在であると
 
当たり前に思えて
 
萎縮することなくのびのびと成長できますように。
 
 
 
 
そして辛いことがあった時、
 
優しく寄り添ってくれる大人が、
 
周りに1人でもいいからいてくれますように。
 
 
 
 
ここに書くことで
 
何かが変わるわけではないかもしれませんが
 
1人1人の決意が大切だと思い、
 
なんとなく決意表明のような気持ちで
 
今日は普段触れないことに、触れてみました。