3 | 成沢りな オフィシャルブログ powered by Ameba


お見舞いに行ったある日
おばあちゃんが言った。


『りなちゃんのおかげで助かった。ありがとう』


目が綺麗になったとか
春には退院したいとかも言っていた。
猫のことも心配していた。

かなり元気になっていて安心した。


実際順調に治っていた。
みんな このまま退院するものだと思っていた。




だけど。


それからまた徐々に様子がおかしくなっていった。
まず話が噛み合わない。
簡単なことを忘れてしまう。
そのうちおばあちゃんは話さなくなった。
でも意思はあるみたいで
私の載った雑誌を見せるとニコニコして触っていた。


痩せて 髪も薄くなっていった。
正直別人みたいだった。


私はあまりお見舞いに行かなくなった。
現実逃避もあったし
遊ぶのに夢中だったし
見たくなかった。


いろいろ転移していたようだけど
詳しいことは今もよく知らない。


友達の家に泊まっていたら 母から着信。

おばあちゃんが死んだ。

実感がなくて わりと冷静だった。
ドラマのワンシーンみたいに姉は泣き崩れていたけど
私は冷静だった。
予測はしていたし、
おばあちゃんはやっぱり別人みたいな顔だし。


だけどベッドの横に私達家族の名前が弱々しくかかれたメモがあって
それを見たら泣けてきた。
チャーちゃんどこにいるのともあった。
猫のことがかなり気掛かりだったらしい。


お通夜、お葬式。

それもわりと冷静で
だけどおばあちゃんが骨になった瞬間。
扉が閉まる音に、変わり果てた姿。
粉々のおばあちゃんに 涙が止まらなかった。

おばあちゃんの日記には
入院の大分前から
『体調が悪い。』『病院に行った。』なんて書いてある。見送りに来なくなったあの頃から。
引き出しには私へのおこずかいと書いたお金があった。

壁にはたくさん私の絵が飾ってあった。
図工の絵はいつもおばあちゃんが持ち帰って 飾ってくれてた。

おばあちゃんの帰りを待ち続けた猫は
呼ばれようにすぐに死んだ。

前も書いた気もするけど
また書いておきたいから書いておく。

なんだかわからないけどそんな気分になった。

一番好きな人を失ったのは人生で一番悲しかったこと。

でも時々思い出して
がんばろうって思う。

おばあちゃんに恥じない人になろうって思う。

おばあちゃんが育てたお父さんを大事にしようって思う。


いなくなった今もおばあちゃんは私を強くしてくれる。