録画してたもの、やっと見ました
https://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=736#top
インクルーシブ教育の導入が進んで来て、障害者差別解消法が制定された現在、教室はどうあるべきか!?
今回の内容はこんな感じ
実際に障害者と健常者が一つのクラスで勉強したら、どんな問題が見えてくるか、バリバラ流に検証してみることに!集まってくれたのは、難病、脳性まひ、知的障害など様々な障害のある大人8名と、健常者7名。
今回の放送で、いいなあ、と思ったのはできるためにはどうしたらいいだろうか、とみんなで考えてたこと。
脳性麻痺で手は動かないけど、リコーダーの授業に出たい。
車椅子だけど大縄跳びに参加するにはどうしたらいいのか。
それぞれが、ここができる、ここができないからここ変えて欲しい、と主張することで、授業参加のために必要な方法が自ずと見えてくる。
幼い頃から多様な状況の人と交流することで、大人になってからも受け入れやすい社会ができていくんじゃないかな、と思う。
固定観念とかができる前に、当たり前のようにいろんな人がいる状態が当たり前になるといいよね。
だけど、一つ危惧してることが。
番組ホームページではこういう風にまとめられていた
しかし、健常者からは「サポート役に回ることで授業に参加できないのは、やっぱり負担に感じるかも」という本音がポロリ。障害者側も「友達にはなるべく負担をかけたくない」と言う。友達に手伝ってもらうのか?別に介助者が必要なのか? クラスの宿題となった。
番組内で、障害者側の方がこういう風に言っていた。
「学校によってはなになにちゃんおねがいね、みたいな感じになってたりとか、優しい子がどんどん負担になってストレスが溜まっていくみたいな」
結構あるあるだと思うんですよね。
通常級に入ってる子とかのお世話役に、優等生タイプの子が気づいたらさせられていたりとか。
先生側からしたら、教室を見るので精一杯で、支援員もつかないような状態ではそうせざるを得ないのかもしれない。
でも、それを放置しておくのはどうかと思うんですよね。
前、そういうようなこと話しているのを聞いたことがあります。
「障害のある子のお世話役にさせられてて、すごい迷惑だった。嫌だった。自分の時間削られるし、ずっとその子のこと見てないといけなかったから。そのせいかもしれないけど、今でもその子みたいな人見るとイライラする」
そういう風な話をしていました。
きっと、その人は優しくて面倒見のいいタイプだったんだろうと思います。
ほおっておくこともできなくて、できることをしたけど、負担が過度になりすぎて残念な結果になってしまった。
番組の議論の中では、介助スタッフが必要か、不要か、という話になっていた。
個人的には、障害の内容と程度によると思う。
例えば、弱視の子供だったら拡大図書を用意する、車椅子の子だったら学校のどこでも車椅子でいけるように整備する、などの環境の整備だけでどうにかなるタイプの子供もいるかもしれない。
だけど、その一方で、支援スタッフが必要な子供もいるとは思う。
医療的ケアが必要な子供であったり、食事などの介助が必要な子供であったり、また発達障害などでわかりやすく説明してくれるスタッフが別にいると楽しく学校生活を送ることができる子供はいると思う。
障害があるから、支援員がいる、要らない、という風に頭ごなしに決めつけるのではなくて、
その子がどのように感じて、どういう風なサポートが欲しくて、それを叶えるためにどういうことができるのか、
そう言ったことを考えるのが今後の教育現場のあり方として必要になってくるのだと思う。
また、障害があるから特別支援学校、という考え方はやめよう、という流れになって来て、特別支援学校を批判するような向きも出ているが、私はそれに賛同することはできない。
医療スタッフが配備されて、特別支援教育を専門に勉強して来た先生から教わる方が、良い効果が得られる子供だってたくさんいるのだと思う。
大切なのは、子供が、親が、どの場所で学びたいか、ということだ。
意見を押しつぶすことがあってはならない。
兄弟と同じ学校がいい、と言っている子を特別支援学校に入れることも、
インクルーシブ教育を推し進めたいからと言って、全く理解できない授業に障害児を投げ込むのも、
両方とも批判されるべきことだと思うのだ。
インクルーシブ教育に関心があって、進めていくことに大きなメリットはあると信じてはいるが、インクルーシブ教育ってただ一緒の教室に詰め込んでおけば成立するものではないと思う。
各児童・生徒が負担にならない形で学ぶことができるのが、インクルーシブ教育の本質ではなかろうか。
教科書でも、紙、タブレット、点字、拡大のいろんな形式のものを使ったっていい。
情報が足りないなら、文字起こしや手話通訳、録音なんかができてもいい。
座る場所だって、全員が机じゃなくても、床に座ったり寝っ転がったりしていい。
学校の本来の目的って勉強することで、
勉強するための最善の方法の多様性を認めることが、もしかしてインクルーシブ教育というものを考える上で大事になるんだと思ってます。
インクルーシブ教育は、障害のある子供だけじゃなくて、筆圧が強くて字を書くのが好きじゃない子、実験だけ苦手な子、想像するのが苦手な子、計算が苦手な子とかにも焦点を当ててもいいのではないかと思います。
発達障害や学習障害を持ってなくても、タブレットの方がうまくいくタイプの子だっているかもしれないし、電卓さえ使えば高度な数学の問題に取り組める子がいるかもしれない。
障害、という言葉にとらわれずに、子供が当たり前に持っている得意不得意を、環境や支援でカバーしていくこと、またそのやり方を教えるのが、これから求められることなんじゃないかな。
総括
子供にとっての学びたい場所・方法を、大人は全力で提供する
障害、という言葉にとらわれすぎず、ベストな方法を探す
支援を受けられる状態を当たり前にする
