今日も1日お疲れ様です

今日は数年ぶりに友人と再会し、楽しい1日でした

最近の若者の言葉の話になって、ポンポンペインという言葉を初めて知りましたw
意味、わかります

お腹が痛いってゆう意味らしいです
娘達も不思議な言葉を使い出すのかなw
娘達も不思議な言葉を使い出すのかなwさて
前回の続きです
前回の続きです
画家になる事を決意したルノワールは、1861年11月にシャルル・グレールのアトリエ(画塾)に入ります。
ここで、後の印象派を代表するクロード・モネ、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらに出会います



(近くにアトリエを持っていた、アンリ・ファンタン=ラトゥールとも知り合う)
ルノワールはグレールの事を「弟子の思うようにさせてくれるが、何の助けにもなってくれなかった」と振り返っています

そんなグレールのアトリエは、安い費用で通え、モデルを使って自由に描くことが許されていたので、様々な趣向の画家達が集まったそうです

ルノワールはアトリエに通いながら、ルーブル美術館で18世紀の画家達を好んで研究します。
(モネはルーブル美術館を毛嫌いしていたそうです
)
)翌年の4月には、エコール・デ・ボザール(17世紀に設立されたパリの高等美術学校)にも入学し、並行して古典的なデッサンの教育を受けました
(夜間にデッサンと解剖学を学ぶ)
(夜間にデッサンと解剖学を学ぶ)ある時、油彩画の習作をクラスに持って行くと、教師のシニョルから、赤の使い方を批判され「もう1人のドラクロワにならないように気をつけることだ!」と警告されました

(ドラクロワはデッサン重視の新古典主義が支配するアカデミーから批判されていた)
ルノワールは構図のテストでは12人中9位という結果でしたが、彫刻やスケッチのテストは106人中10位という高成績を残しています

ルノワールは構図に捉われず、感覚やセンスで絵を描いていたのです



ちなみに、エコール・デ・ボザールがまた、素晴らしい建築物でもあります

興味を持たれた方はググってみてください

そして、ルノワールは本格的に画家として活動を始めます

当時、入選すると認められるサロン・ド・パリという展覧会があり、まず第一歩としてルノワールは作品を応募しました

初回は落選しましたが、翌年入選し、画家として仕事を始めます

その後も数年にわたり入選していたサロンですが、次第に審査が厳しくなり落選する事も増えてきました

そんなルノワールは肖像画を中心に活動し、生涯を通して多くの作品を残します。
(不特定多数の人へ向けて描くより、特定の人物に向けた絵の方が作品を買ってもらえる可能性が高かった
)
)1869年、ルノワールが28歳の頃、今まで以上にモネと多くの時間を共に過ごします。
ルノワールが肖像画を描いて画家として生活できていた一方、モネはかなり貧しい状態だったからです

ルノワールはそんな貧しいモネに食事を持って行ったり、絵具を買ったりと助けていました

そしてモネと過ごす時間に新たな絵の描き方が生まれ「印象派」が誕生するのです



ちなみに、印象派という名前は、モネの『印象・日の出』が由来になっています

誰もが知っている作品ですよね

モネの作品は好きな作品が沢山ありますが、こちらを初めて鑑賞した時の感動は忘れられません



印象派の誕生については、ルノワールの生涯を書き終えた後にでも詳しく書きます





