私は喫茶店を出て、今岡の車に乗り、病院に向かっていた。
「森口さん、あなたは……森口くんとは、普段から親しかったのですかな?」
「……まぁ、普通の姉弟でしたよ。危ない関係ってわけでもなければ、冷めた関係ってわけでもありませんでしたし」
運転席の今岡は、私の言葉に微笑を浮かべていた。
「何か、おかしいでしょうか?」
「い、いやいや! 意外だなと思いましてな」
「意外……?」
私は今岡にきき返す。
今岡は正面を向いたまま、助手席に座っている私と話している。
「友達……のような関係なのだと思っていたのですよ」
「そんな関係、築けてないですよ」
私は外に目をやる。
そんな関係、築けるわけがない。
確かに仲はよかったけど、なんでも話せる仲という程ではなかった。
実際、今回の宮野との関係なんて聞いてもいなかった。
でも、私だって、千里にいちいち好きな人だとか、自分の近状報告なんてしていなかった。
私が、15年間かけて築いてきた関係はこんなものだったのかと思うと、何か悲しくなってくる。
これが、現実というものなのかもしれない。
「あぁ、つきましたよ、桜庭病院に」
私は、エンジンを切った車から降りる。
桜庭病院は、この辺では最大の総合病院だ。
私も何度か、ここの世話になったことがある。
まあ、馬鹿は風邪をひかないっていう言葉の通り、病気でここに来たことはない。だいたい定期健診や、予防接種などで、ここの世話になっている。
父さんにやってもらうというのも1つの手なのかもしれないけれど、なんだか自分の親に注射されるというのも嫌なので、ここで注射をしてもらったりしている。
「病院というものは、何度来ても慣れませんな」
「成人病で来ることになるかもしれませんよ。看護婦さんに愛想よくしといた方がいいんじゃないですか?」
私の嫌味に今岡は苦笑した。
この人の中年代表というような体系なら、成人病もありえない話じゃない。
親子に見えるだろうか……なんて、私はそんなどうでもいい心配をしながら病室に向かった。
エレベーターで千里の入院している病室のある階まで行き、そこから少し歩くと昨日来た病室の前に着いた。
「ここですかな?」
今岡は病室番号の書かれたナンバープレートの下の名前を確認して、私にきく。
わかってるんなら、きかなきゃいいのに……そんな気持ちが私の心をよぎった。
私は今岡に、ドアノブを譲られた。お前が開けろ、ということなのだろう。
その今岡の譲り合いの心を私は受け取り、病室のドアを開けた。
そこには、昨日と何も変わらない光景が広がっていた。
規則正しく刻む機械を通して私たちの耳に入る心音は、千里が生きているという安堵感とともに、何かに興奮することもないという切なさを与えた。
私は、祈るしか出来ないのだろうか。諸悪の根源に何を言おうが、何をしようが、千里が目覚めることには繋がらない。
「私たちは、祈ることしかできませんな」
「……」
今岡が私の考えていることを、そっくりそのまま言ったため、返答に戸惑ってしまった。
「森口くんが目覚めた時は、私にも連絡入れてくださいね」
今岡がニッと笑った。
中年の楽しそうな笑顔には惹かれないが、その時は連絡を入れてもいいかな、と思う自分がいた。
「あまりお邪魔するのも、どうかと思いますから、そろそろ私は帰ります。森口さんもお家までお送りしましょうか?」
「え、あ、いえ、私は少しここに残ります」
私の言葉に今岡はうなずき、病室を出て行った。
「……千里」
私は今岡が出てから、数十秒後に千里の名を呼んだ。
囁く程度の声だったけれど、何か聞かれるのが恥ずかしかったのだ。
「私、待ってるからね。昔みたいに、頼れるお姉ちゃんでいるからね。だから……だから、早く……起きてよ」
千里は眠ったまま、ぴくりとも動かない。
見ただけでは、生きているということさえ疑えてしまう。
……本当は、死んでるんじゃないの?
機械で刻まれている心音なんて、あてにならない。だって、機械。所詮機械なんだよ。こんなもので、千里の生死を証明されていたなんて思うと、この機械が、病院が、医者が、信じられなくなってくる。
生きてるように、ピッピッピって鳴らせばいいんじゃない? そうすれば、誰もに生きていると信じ込ませることができる。
……いや、何を言っているんだよ、杏璃。
千里の温かい手が、何よりの生きている証拠じゃない?
呼吸器で誤魔化されているような呼吸だって、嘘の呼吸ではないはずだ。
そう、何を考えてるんだ、私。
千里が死んでいる?
……こんな考えに至った自分が憎い。
どうして? 生きてるって信じるんでしょ? 信じてるんでしょ?
なのに、なのに……私は……。
私の頬を涙が伝うのがわかる。
情けない。こんな自分が情けない。
……あぁ、もう泣かないって決めたのに。
もう、嘆かないって決めたのに。
なんて、弱いんだろう。
こんなに弱かったかな。
いや、弱かったんだよね。
自分で、強いと思い込んでいた。
たった2日で、私の世界が変わった。
友達も、弟も失った。
世間体だって、そのうち悪くなるだろう。
うちの学校の生徒が、親に私のことを言って、その嘘が広まってしまうのも時間の問題。
もう、こんな世界……いらないや。
何が楽しいの?
何のために生きてるの?
自分の無実を証明する?
それでどうするの?
もう嫌だよ。
失ったものを取り戻したい。
でも、本当は無理なんじゃないのかな。
私が何を努力しようと、千里は目覚めない。
だから幸せも訪れない。
無駄。
無駄無駄無駄!!
全て無駄!
「森口……杏璃さんですか? そろそろ面会は控えていただきたいのですが……」
「……!?」
私は、背後に近付く人影に気付かなかった。
驚いて振り返ると、そこには白衣を着た男が立っていた。多分、千里の担当医だろう。
ずっと前からいたのだろうか。
私はそんなにも考えにふけっていたのだろうか。
……色々な考えが私の頭の中を巡る。
「あ、すみません。帰ります」
私はそいつに何かこれ以上のことを言われないようにと思い、そそくさと部屋を出ようとする。
すると、そいつは私を呼び止めた。
……何? これ以上私を刺激しないで。
私はそう心の中で呟いた。
「これからも、千里くんのお見舞いに来てあげてください。眠ってはいますが、何か傍でお話をしていただければ、きっと千里くんに届きますから」
その言葉に私は足がふらつく。
さっきまでの、自分の短絡的な考えが急に恥ずかしくなったからかもしれない。
感情的なあの考えが、なんて愚かなんだろう……私はそう思った。
そう、千里は死んだんじゃない。ちょっと寝坊してるだけ。
寝てる人に声をかけてあげたら、いずれ起きる。放っておくよりは早く起きる。
そういうことなのだろうか。
うん、そういうことにしておこう。
「また、来てくださいね」
病室を去る私に、そいつは優しい声でそう言った。
病室の戸を閉めた時、私の頬を一筋の涙が伝った。