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いろんなことがあった2019年でしたが、あっと言う間に過ぎて行ってしまいますね。
時々、エッセイが読みたいと連絡をもらいます。
長くても大丈夫な方はどうぞお付き合い下さい。
映像作家、保山耕一さんの[奈良、時の雫]を見ていて、思い出したエッセイです。
永平寺を開いた道元の師である天童如淨が、たくさんの弟子たちに語ったことばだそうだ。
雪深く、まだ寒さの厳しい季節に咲く梅を詠んだもので、厳しい悟りの果てに悟りがあることを比喩したそうである。
道元は1200年に京都に生まれている。
仏道に入り、日本に自分の師はいないと感じ、中国へ渡った。
その中国での生活は相当に大変だったようである。
ことばの問題、食事の問題、そしてたくさんの中国人の中で、ただ一人の日本人は、日常的にいじめにあっていたようだ。
今でも海外で暮らすのは容易なことではないが、当時とは比較にならないほどすべてが変わっている。
それでもこのお話を聞いた時、他人事ではなく、親近感に似たものまで感じた。
そして道元は、この状況を打開するために、なんと、時の皇帝に手紙を書いて現状を訴えた。
それからは、取り巻く状況が一変したそうである。
異国の地で、なんとすごい勇気だろうか。
そして、鎌倉仏教の多くが末法を肯定しているのに対して、道元はお釈迦様の弟子たちがすべて優れていたわけではないことを例に挙げて、末法は方便の一つだとして否定した。
雪裡の梅花 ただ一枝
実は ‹大愚和尚の一問一答› で初めての知ったことばだった。
海外に留学したある10代の学生からの質問に対する回答の中で話された。
彼女は弱い自分から脱却したくて留学したそうだが、慣れない海外生活で疲弊して、心が折れる寸前だったようだ。
大愚和尚は回答の中で
「逃げなさい。」
と言うことを言われた。
和尚自身、師であり父でもあった先代から言われていたことがあった。
それは、辛い時、苦しい時、悲しい時、怒りに満ちた時、もう駄目だと思った時、夜の街に出て行くのではなく、本堂の仏様の前で全部吐き出せ、と言うことだった。
そうすることで、戦いながら逃げ、逃げながら戦うことを体得したと言う。
そして本当に強い人は、逃げながら戦かい、戦かいながら逃げれる人だとも言われた。
玉砕しては何の意味もない。
生きていく、生き抜く知恵というのはこういうことを言うのだろう。

苦労の果てに楽(幸せ)があると人は言う。
こういう人はきっと知っているのだ。
苦労(修業)することの目的を。
苦労の中で、物事に対する解釈を変え、自分自身の在り方を変容すれば、楽(幸せ)が来るということを。
そのための正当な努力の方法を知っているのだ。
正当な努力の必要性は、平常では悟れないから人は苦労(修業)するのだろう。
天童如淨は、雪裡の梅花、ただ一枝と言った。
雪裡の梅花ただ一輪、とは言わなかった。
花が咲くのは、枝に繋がり、幹に繋がり、根に繋がっているから。
同じ梅の木でも、雪の中で咲く早咲きの花もあれば、みんなと合わせて咲き、満開を楽しませてくれるものもあれば、名残り惜しむように遅く咲くものもある。
どんな花も、きちんと根に繋がっているから咲くことができる。
雪裡の梅花、ただ一枝
このことばを通じ、改めて本当の強さとは何なのか、を異国の地で省みている。