限られた時間の中、受け付けられた第2の質問は、"輪廻転生というのは実際にあるのですか?"
という内容でした。
詳しく聞いて見ると、本というのは校正校閲が入るので、事実と思われない、あるいは事実とかけ離れていることに関してはもちろん削除されたり、修正が入るわけです。
なので、輪廻転生は実際にあるのですか?という質問内容になったのだと思いました。
でも、輪廻転生を、どうやって証明できるのでしょうか……。
私が感じるところに依ると、多分、質問なさった方は、何か大きな人生の岐路に直面していらっしゃるのではないだろうかと思いました。
輪廻転生が事実だとしたら、生き方を見直したいのかも知れませんし、今後の選択肢を考える時の重要なキーパーソンにる問題でもかかえていらっしゃったのかも知れません。
わかるような気もしました。
私も、輪廻転生はおそらくは何らかの形であるだろう、ということを受け入れた時、それまでの依存体質から、自身の選択と責任で生きていく、という方向にシフトできたからです。
しかし、証明しようのないこの質問に対して、どういう解答をするのでしょう。
「質問の意に添える解答になるかどうかはわかりませんが、参考になればと思い、私なりにお答えしたいと思うのですが、よろしいですか?」
と言う前置きをした後に、和尚様が東洋と西洋の宗教について語り始めました。
"もともと輪廻転生は東洋の思想で、日本に居て思う以上に宗教的、歴史的背景があります。
東洋の思想は母なる大地と言う捉え方で、種を蒔けば収穫が出来ます。
収穫した時に落ちた種は、また翌年、同じ作物の芽を出します。
(あたり前ですが稲が落ちれば稲が出て来るし、大豆が落ちれば大豆が出て来ると言うことです。)
これは人生50年、農耕民族の思想です。
ただ、ここでお解りだと思いますが、種類の同じものが出て来るのであって、それは以前のそれとまったく同じものではありません。
輪廻転生とはそういう思想です。
では西洋はどうですか?
砂漠の思想です。
砂漠は風が吹けば、風景そのものが変わります。
そして、いつも生きるために水を確保しなければならない生活を強いられました。
砂漠に生きる人にとっては、大地はいつも変容するので、天を見つめ、星を見つめて生活せざるを得ないのです。
ですから、父なる天、ファーザーゴッドと言う内容になります。"
ここからは私が少し補足します。
砂漠で生きる為には水は不可欠なので、いい水源というのがあれば確保しておきたいわけです。
そこで水源をめぐる戦いが、再三のように起こりました。
勝ったものは負けた部族を奴隷として使ったそうです。
砂漠では、少しでも平和で人間らしく生きる為には、一人の強力な指導者の元に結束する方が有利だったわけです。
水争いに負けて奴隷になるよりは、一人の強力な指導者の配下にいた方が恵みが大きいわけです。(奴隷として搾取されるよりは、同じく搾取されるとわかっていてもずっといいですよね。)
別な言い方をすると、強力な指導者になる為に宗教を利用したし、そういう指導者の元でたくさんの人々の生活がそれなりに保証されたいたわけです。
もともとはヤハウェも多神の中の一つの神様でしたが、ヤハウェのみに重きを置き、それを強調して一神教になっていった過程があります。
私はこれを知った時、西洋の奴隷と言う概念が理解できました。
なので、東洋と西洋の宗教の背景にあるもの、多神教、輪廻転生と言う東洋的思想と、一神教という西洋的思想の発達の前提にあったものが何であるかを理解しないと大変なことになります。
詳しくは、[宗教で読み解く世界史の謎]武光誠、PHP文庫をお読み下さい。

和尚様が一通り説明をされたあと、
「これで解答になったかどうかはわかりませんが、このようなことでよろしいですか?納得できましたでしょうか?」
と言われると、質問なさった方も、はい、わかりました、ありがとうございました、と応答されていました。
輪廻転生が事実かどうかは、最低一度死んで見ないとわからない問題です。
死んで、何年、何十年、あるいは何千年、何万年経って、初めてわかることかもしれませんが、その前世の記憶を科学が証明出来きるかどうかはまた別の問題だとも思えます。
私は、私が自分の人生を自らの責任として生きていくために輪廻転生を信じたのかも知れません。
結局、自分の果たす責任や使命、そして課題は、自分が今生で解決できなければ、来世に持ち越されると思えたのでそうしたのですよね。
私は稲なのか大豆なのか、はたまた別のものなのかはわかりませんが、仮に大豆だったと考え、また、来世も大豆だったとしても、今生の大豆と来世の大豆は別のものです。
そういう意味では、私の人生は一度きりです。
私が、今生で納得するいい人生を生きれば、来世はもともと優れた大豆のDNAを持って生まれるかも知れませんし、大豆としては生き切ったので別の何かに生まれるのかも知れません。
それこそ、神と仏のみが知る世界のことです。
輪廻転生を受け入れて少なくとも私の人生の質は向上したわけで、それはそれでいいではないか、それが私の結論でした。