二児の母になってもう20年以上経つ。

 恥ずかしながら、この年齢になっても挨拶をする理由をはっきりとはわかっていないわたし。

 でも、遡って考えても、

「挨拶はきちんとしなさい。」

「挨拶は大切だからしなきゃだめでしよ。」

みたいなことはいっぱい言われたけど、でも挨拶する理由を教えてくれた大人はいなかったように思う。

 なので、わたしも、子供に挨拶しろ〜と言ったことはいっぱいあった。

 でも挨拶する理由をきちんと伝えたことはない。

 あたしだって知らないから当然のことなのだ😅😂🤣

 子供の頃、あまりにも言われるから、

「どうして挨拶するの?理由は?」

ぐらい聞きたかったけど、そんなことを聞くと、

「何言ってんの、むかしからそういうものなのよ。」

 とか、

「理由なんかどうでもいいのよ、みんながしてるからするの。しないと変な子供って見られるでしょ。」

 ぐらいの返答しかなさそうだったし、だいたい誰もそんなことを質問してなかったような気がするし、

 変なこと聞いて、変わった子供と言われるのが、やっぱり嫌だったのだろう。

 そのまま大人になった。

 それがまさかこの場所できけるとは❣

 考えてもいなかった。


 挨拶、何故するのか?

 それは人間が同種同士で争わないために生み出した“型”だと和尚様は言われた。

 二足歩行をする人間は前頭前野が発達した。

 前頭前野はヒトを人たらしめる役割を担ってる部分で思考とか創造性を司っている。

 この部分の発達によって様々な形の欲望が持てるようになった。

 それによって共存が脅かされる欲望も生まれ、

 種の保存、存続のために人間は挨拶と言う型を作ったそうである。

 そもそも四足歩行している動物は、睨み合ってる状態ではなかなか急所となるは背後に回ることはできない。

 背後を取られたら致命的。

 でも二足歩行している人は、ちょっとしたスキがあれば背後に回れる。

 これでは生命がいくらあっても足りない。

 なのであなたに敵意はありませんよ、と言う意味で、挨拶を交わすようになった。

 こういう事情で挨拶をするようになったので、

 両手を太腿に当て、頭を下げる(相手から見ると差し出された形になる)天皇陛下の挨拶の型は、最上級の挨拶だと英語で演説して、喝采を浴びたことがあると和尚様は言われた。

 人って、本当に大切なことを知らないまま、体だけが成長してしまうことが、どれだけたくさんあるだろう。

 わたしも間違いなく、その中の一人だった。

 子供が成人した親と言う立場になるまで挨拶する理由を知らなかったのだから…。

 人として大切なことをきちんと教えられる大人がたくさんいたら、わたしも人生をこんなふうには生きなかっただろう、と思った。

 自分が自分をきちんと生きながら、他者(人ばかりでなく自然とかも含めて)と共存できること。

 それがわたしの感じてる、人として大切なことなんだろうな、と思った。