今回から禅クリエイターズアカデミーを禅クリと略しますね。(長いので)

 さて、和尚様の東京での大学生活が始まった。

 最初は小牧の田舎から、日本一の大都会に行ったので、相当萎縮されたようだ。

 そのうち……東京の人も同じ人間であることに気付き、

 そして……気が付けばお酒をのみカラオケをして無難な一日一日を送っている、大多数の学生と変わらない生活をしている自分に気が付いた。

 ご自身がおそらく一番ビックリなさったのだろう。

 このままではいけないと思い、始めたのが“空手”だった。

 やや細見で、背がそう高くも低くもなく、色白で、整った端正な顔立ちで、空手で鍛え上げられた上腕の筋肉を自慢しながら地下鉄に乗っていたある日、

 “フ〜〜〜ッ”

 “フ〜〜〜ッ”

 “フ〜〜〜ッ”

 (すいません、わたし、また、この時点で一番前の席で声を殺して笑っていた。)

 電車の中で、鍛え上げられた上腕の筋肉(一般的は力こぶと言われる)に吹きかけられている吐息(多分鼻息も)に気付いた。

 それまでは、どうして痴漢にあった女性が叫ぶこともできないのかわからなかったそうだが、

 この時は、和尚様、凍っていたそうだ。

 おそらく、同じような状況になれば、ほとんどの人は凍ってしまうだろう。

 で、和尚様は続けた。

「同じ吐息でも、これが愛する女性の吐息だったらどうでしょうね。」

 愛する異性の吐息だったら、あなたは凍りますか?

 それとも、溶けますか?

 そうなのだ。

 同じ吐息でも、

 その吐息が
 
 桃色なのか、

 灰色なのか、

 漆黒の黒なのかは、

 吹きかけられている人が吹きかけてる人をどう思っているかによって、違ってしまう。

 お財布を盗まれたら、誰だって腹が立って仕方ないと、思うけど、

 でも、片思いの普段は自分に関心を持ってくれない相手が、

 財布を取ったら(この場合は盗まれたとは思わないよねぇ。)

 同じ行為でも、結果は違って来るだろう。

 今の中学生はわからないが、

 少なくとも私は、お財布を取られても嬉しいほど、ピュアな片思いを中学生の時にしたことがある。

 結局、快、不快を決定してるのは、自分の心、感情なのである。

 


 企業に成功したある女性CEOの話を聞いたことがある。

 「夫の倒産という危機がなかったら、今の成功はなかったと思います。」

  女性CEOはこう語っていた。

 倒産という現象でさえ、

 それはひとつの現象でしかなく、

 それをどう捉えるのかは、本人に拠るのだ。

 結局、人生全般において、幸不幸を決定してるのは、体験した現象それ自体ではなくて、

 それをどう捉え、解釈したのか、
 何を感じ、どういう感情が自分に残ったのか、という、

 自身の問題になってくる。

 この話を聞きながら、

 自分の中の自分に嘘をついて、感じたことに蓋をして、争うことを避け、いわゆる“いい子チャン”を演じて、

 心にこびりついた回恨の思いに潰されそうになって生きていた長かった歳月も、

 私が捉え方を変えれば、それこそが肥料になるんだと、

 顔で笑いながら、心で正座している自分がそこにいた。