いつものようにネットサーフィンをしていたある日。


youtubeのサイトで、あるお坊さんの動画が目に飛び込んで来た。
最初は、このサイトを介してメッセージを発信するなんて、時代が変わったよなぁ〜ぐらいの感じて再生した。
それが大愚和尚の一問一答だった。
読者から寄せられた悩みをそのまま読みあげて、そのあと、大愚和尚が問題になる部分を指摘(なぜそれが問題になるかという理由も含め)したあと、最後は処方箋という形で、その悩みの解決の糸口を提示していた。
動画を見ながら、いつの間にか、正座をしていた。
この和尚さん、何者???
なんで解答がこんなに、具体的で現実的なの???
この人、カウンセラー???
と、いろいろ感じたので経歴を調べた。
それほど、それまで私が持っていたお坊さんのイメージを打ち砕いてくれた。
宗教、特に、仏教というある意味では独特の世界観の中で、一時的に必要がある癒しを提供し、あとは見えない世界のことなのでうまくごまかしてしまう、という私の先入観はこの動画一本で崩れ去った。
何日かに渡って何本か、たて続けに見たように思う。
この動画サイトは私が知った頃は、そうたくさんの購読者がいるわけではなかった。
それがいつの間にか、月に3000人、最近は5000人が登録している。
多分、この登録者数は今後加速するだろうと思っている。
相談が多いのか、最近は更新の速度も速くなっている。

私は書くことが好きだったのに、あることがきっかけで全く書けなくなり、そのまま30年以上、四捨五入すると40年に近い時が流れていた。
そのあいだに韓国に来て、実に様々なことに遭遇し、自分自身の在り方を根本から見直さないと、生きていけない状況に追い込まれた。
そして、自分の内面と向き合うという、ひたすら面倒で、困難で、苦痛が伴い、ごまかしのきかない、逃げ場のない作業をすることになり、
コツコツと一つ一つをやって、ある程度の苦痛から内面が開放されて来た時、
もう一度、"書く"ということに向かい合えた瞬間があった。
丁度その時、韓国で現役で活躍し何冊も本を出してる詩人でエッセイストの方の講義を受ける機会を得た。
今思えば、渡りに舟という絶好のタイミングだった。
この時に、自身の中で、
「あぁ、もういいんだ。もう書きたいことを書いてもいいんだ。書きたいように書いたらいいんだ。」
という内側の声を聞いた。
その勢いで書いた韓国語のエッセイが複数回入選した。
今思えば、ほとんど奇跡。
ところが当の本人、何で入選したかわかっていない。
受賞式に行くと、本当に幸せだったが、反面、他の入選作を読むと、落ち込んだ。
わかっているけど、この表現力の大きな差。
韓国語は母国語じゃないので、それなりの限界はあるのはわかっていても、落ち込んだ。
何で入選したのかなぁ……。
このような時に大愚和尚の一問一答を見ていて、このような一節に出会った。
「芸術に基準はない。良いも悪いもない。人の心に感動を与えるかどうかは唯一
"熱量"だ。」
そうか。
"熱量。"
この時に、はっきりとわかった。
人の心は作品を通じて、その背後にある熱量を感じ取っているんだ。
私は文章という形で表現してるけれど、その文字、表現、そして行間にある何か、その熱量に対する評価が入選だったんだ。
思えば書きたいことが思うように表現できなくなって30年以上、かれこれ40年に近い年月が経ってるのに、
それでも書くことを諦めきれなかった私って、いったい何なんだろうか。
そんな折、
これまた渡りに舟のタイミングで、
3月21日に行われるライティング講座のことを大愚和尚の一問一答で知った。
2月中旬、この情報を知った時、私は下の息子が入れると思っていた大学の寄宿舎に入れないことがわかり、大慌てだった。(韓国は3月が新年度)
上の息子は軍隊だし、夫は入院中。
仕事をしてるのは私だけで。
この状況でライティング講座。
ふつうなら、諦めるだろう。
でも、何度自分に聞いても答えは同じ。
「参加したい。しないと下手をすると一生後悔するかも。」
だった。
そうこうしてるうち、思わぬ形で息子の部屋のことが解決し。
私はそれまで自分自身の為に貯めていたお金を円に換金して、飛行機とホテルを予約した。
仕事もお願いして、休みをもらった。
これが以前のブログで挙げた、"投資の醍醐味"の背景にある事情。

そして私は何年かぶりに、日本に帰る(行く)ことにした。
[続く]