この間、ある大切な友人からメールをいただきました。
彼女とは知り合ってまだ間もないあいだがらですが、そのメールを読んだ私は、心のどこかをつかんで揺らされた、という感覚になりました。
丁度、両肩をつかまれて
「あなたの本音はどうなのよ❣」
と、揺らされた感じ、とでも言えばいいのでしょうか。
彼女も私も、国は違うけど、外国人の夫と、子ども、という家族構成。
彼女は、この間アップした、リーチェンの桜という内容を読んで、ある部分に心を動かされたようです。それは、
「異国で生き延びることの難しさを知る私は、この桜にどこか自分を重ねている。」
という部分でした。
"私は根がなくて、幹だけで生きてるようだ。"
"異国で暮らすことは、薄い酸素の中で生活しているような感覚があります。"
"気が合う仲間や、時間を忘れてしまうほどの趣味がないのも一因かなぁ。"
"気を落ち着かせてくれるような場所もありません。具体的には神社仏閣だったり、季節を知らせてくれる鳥のさえずりだったり、花の香り、実家が駅の近くだったので、電車の音さえも落ち着きます。"
このようなことがメールに書かれていて、いずれも100%共感❣という内容でした。
そういえば私も、心を落ち着かせるために、わざわざ山の中にあるお寺に行ってました。
大自然の中にいると、実家(北海道のスゴイ田舎)を思い出して落ち着いたし、お寺に行くとやはり日本の中に溶け込んだ仏教文化と似たようなものを感じ、心が落ち着いたからです。
韓国での友人の中には、大阪生まれの大阪育ちでスゴイ文化的な生活をしていたのに、江原道の田舎暮らしで疲弊してる人もいます。
自分が生きて来た地域とか環境とか使っていた水(日本は軟水、韓国は硬水だとか)に至るまで、違うんですよね。
単に言葉とか、文化だけの問題じゃないんだよなぁ、というのが私の本音です。

彼女のメールには、しばらく返信できませんでした。
内心は、彼女でもそんな風に感じていたのか…という思いもありました。
そして、いろいろなことがあったけど、私はどうして20年以上も異国で生き延びることができたのか、深く考える機会をもらいました。
最大の理由は二人の息子がいたからです。
そして、"根"って一体何なんだろう、と思いました。
以前、世界的に活躍した、森英恵さんのインタビューを観たことがあります。
その中でこのような内容を言われました。
"世界で活躍したいのなら、自分の根が何なのかをきちんとわかり、そこに根ざすことです。"
その時はなんとなく聞いていましたが、再度この言葉の意味を考えました。
メールをくれた彼女は、根がなくて幹だけで生きてるようだ、と書いてました。
感覚的にはすごくよくわかります。
でも根があるから異国でもなんとか生き延びるてるんですよね~。本当に根がない人は母国に帰ってしまうと思いました。
根はあるけど、自分がどんな根を持っているのか自覚ができてないから、見えてるところの"幹"だけで生きてるようだと感じるんだよなぁ、と思いました。
こんなことを書いている私も、見えない自身の根について、本気で考え始めたのはつい最近のことです。
自分の根がどういうものなのか、自分がどういう存在なのかを具体的にわかると、自分に必要有るものを吸収して、反対に害になるものには触れないようにするでしょうし。
きっと無意識のレベルでそれをやっているから生きてるんだけど、きちんと分かってないから薄い酸素の中で生きてるように感じるんだろうなぁ、と自分の過去を振り返り、また、振り返り、感じました。
事実、私が少し呼吸できてるなぁ、と感じるようになったのは、自分が何者かを知ろうとした時からでした。

海外で生活してる日本人はたくさんいらっしゃるでしょう。
国際結婚という形ではなくても、留学、仕事などで、それ相応の期間を異国で生活するとなると、本当にいろんなことに遭遇しますよね。
今まで自分が持っていた定規が全く通じない、あるいは、その定規を使っていいのかどうかを、いちいち確認しないといけないのが、ある意味では異国で生活するということかもしれません。
自分の生きて来たそれまでの人生からは全く想像出来ない、想定外との遭遇の連続と言っても過言ではないかも知れません。
本当にしんどいことですが、だからこそ見えてくる自分があるのも事実です。
彼女のメールは、私の心の引き出しに収まっています。