4月5日は清明、4月6日は寒食です。

清明は二十四節気の第5番目にあたり、春風が吹き草木は芽生え、明るく生命力のある清らかな季節であることから、清明と呼ばれます。
日本に住んでいた頃はこの日をあまり意識したことはありません。
でも韓国に来てからは、植樹をするので意識するようになりました。
今年は違いますが、清明と寒食の日が同じ年もあり、韓国では、寒食の日は先祖のお墓参りをするのが通例となってます。そして、お墓の修理や移動が必要な場合はこの日に行います。
特にお墓の修理や移動はこの日でなければ、3年に一度ある閏月に行います。
清明、寒食の日は先祖の霊が天に登っているので、触っても障りはないと言う考えがその基本にあります。
閏月は3年に一度なので、先祖の霊がその月を認識できないから、触っても障りがないそうです。(暦について、という以前アップしたブログを読んでくださるとそのあたり少し書いてます。)
寒食は冬至から数えて105日目です。
中華圏では清明節と言って、日本のお盆に当たります。
先祖のお墓の掃除をし、雑草を抜き、土を盛り、お参りした後に、一同揃ってお供え物をいただくようです。
その為に、お墓の前は宴会ができるように広場になってるのです。
清明にはこうして、先祖に手を合わせることと、春を楽しむことの両方をすることを今でも守って生活してるそうです。
日本では沖縄県で、シーミー、首里地方ではウシーミーと言って、中華圏と似たような風習があります。
清明節の起源は古く、漢の時代(紀元前202〜220)とも言われ、それ以前と言う文献もあります。

寒食と言うのは、私は日本では聞いたことがありませんでした。
寒食に関しての言い伝え。
一つは春秋戦国時代の晋の皇子の家臣だった介子推のお話。
当時の中国では政治の混乱、激しい国同士の争いで晋の皇子は介子推と数人の家臣を連れて、山奥に身を潜めていました。
食料難から、皇子が生死をさまよった時、介子推は自分の足の肉を切り取って皇子がそれを食して一命を取り留めました。
19年後、皇子は即位します。
王になり、介子推のことを忘れていましたが、ある時に思い出し、探しました。
ある山奥に母親と暮らしていると言う情報を聞きます。しかし場所が特定できません。
この時に、山に火を放ち、介子推が逃げ出して来るようにしたと言うのです。
この火が大きな山火事となり、鎮火したあとに探したのですが、介子推は柳の木に寄りかかり絶命していました。
韓国の資料によれば、官位を与え、国の政治を担うようにと命を出したのに、介子推はこれを拒否。そのために山に火を放ったとなってました。
いずれにしても、山に火を放ったことで介子推は死んでしまいました。
このことに深く悲しんだ王が、この日には火を使った食べ物を食さないことから寒食が始まったと言う説。
この話は香港、その他の地域でも語り継がれてるようです。
韓国では、東国歳時記に寒食のことが記録されています。
東国歳時記とは朝鮮の年中行事や風俗を記録した李朝末期の書。
正確な著作年代は不明ですが、1849年に記した序があるようです。
今日における朝鮮歳時風俗の原点に関する貴重な記録です。
古い火は生命力がないばかりでなく、人間に災いをもたらすと信じられ、かまどの古い火を消し、王から新たにもたらされる火を受け取るまでの期間、冷めたご飯を食したので寒食と言う説。
中華圏にも韓半島にも残ってる寒食という慣習が、日本では見られないのが不思議と言えば不思議ですよね。
介子推のお話はいろいろなことを考えさせます。
恩を結果としては仇で返してしまった王、自分の持ってる権威を誤って使った結果招いた大きな損失、相手を尊重するとは何なのか、などなど。
そして、火災というのは地震や洪水と言う天災に比べ、人間に依るところが大きいので、きちんと扱うことを教えたかったのかも、と言うことも感じました。
いずれにしても、こんなに長い間、語り継がれている内容なので、その本意がどこにあるのかを考えて見るのもいいかと思います。
韓国で生活を始めて20年以上経ちました。
でも今年はいつもの年と違うなぁ、となんとなく感じます。
通常だと、チンダルレ(玄海ツツジ)とケナリ(朝鮮レンギョウ)が咲いて、一息おいて白い木蓮が咲き、そして梅や紅色の木蓮が咲いて、桜が咲く、と言うのが、私の住んでいる地域の一般的な春の始まり。
でも今年は、ほぼ同時期に咲き始めました。

こんな年は始めてです。
心嬉しい春ですか、どこかで地球が病んでることも感じます。
人間も自然の一部であることを忘れてはならないな、
と、清明、寒食に際して感じました。