あと193日で閉館する名古屋ボストン美術館。

 今回の企画はこれ。


 そして、この企画展の本命中の本命が、

英一蝶(1652~1724)の《涅槃図》でした。

 
 この写真の右上の絵です。

 涅槃図は英一蝶による仏画の超大作で、縦290センチ、横170センチ。額を含めるとそれ以上の大きさになります。

 1886年以前にフェノロサが購入し、アメリカのボストン美術館で収蔵されていました。

 しかし、作品の大きさと劣化のために25年以上に渡って公開できなかった、ある意味では、幻の作品。

 アメリカのボストン美術館でもこの絵を鑑賞するのは難しかったのです。

 名古屋ボストン美術館での公開に際して、画面の折れ、亀裂、汚れ、糊離れなどを修理。

 約1年に渡り、本格的な解体作業を行い、修復して、今回展示されました。


 "異端"と呼ばれることの多い一蝶ですが、10代の頃は幕府の御用絵師団の一員でした。

 狩野派に学び基礎を徹底的に仕込まれましたが、

 伝統を重視するあまり、個性を発揮できず、数年でやめてしまったようです。

 その一蝶に影響を与えたのが、浮世絵を世に広め、美人画で名高い菱川師宣でした。

 一蝶は幇間という仕事をして生計を立てていました。
 幇間とは花柳界などのお座敷でお酒の席を盛り上げる人のことで、男芸者とも言われます。

 ところが1698年、突然島流し。

 その理由は幇間の仕事を通じて、大名に莫大なお金を使わせたから、だそうです。

 幇間としての腕前も一級だった一蝶。

 しかし島流しは当時は、終身刑で一蝶は絶望していました。

 その一蝶に島民が、仏様の絵を描いて欲しいと依頼しました。

 これが、仏画を描くきっかけだったようです。

 こうして時は流れ、1709年、将軍綱吉が亡くなった大赦によって江戸に帰って来ました。

 江戸に戻った一蝶にある人物から依頼がありました。

 「父の菩提を弔う涅槃図を描いて欲しい。」

 一蝶は悩んだと思います。

 この願いにどう応えればいいものか…。

 一蝶は島流しの際、結婚して子供をもうけ、一緒に江戸に帰ってました。

 その息子の存在が、父と子の別れに直面していた依頼者の深い悲しみに寄り添う契機となったようです。

 涅槃図には女性、動物、昆虫まで描かれています。

 命あるすべてのものが釈迦の最期を悲しむということを通じて、

 命あるものに普遍的に存在する親子の絆を表したかったのではないだろうか、

 そんなことも考えさせます。


 この絵は、日本にあれば間違いなく国宝だったと思いますが、

 果たしてアメリカに渡らなかったら、そもそもこの絵が存在しただろうか?とも思いました。

 戦争で焼け野原になった東京にこの絵があれば、焼失していたかもしれません。

 仏画に描かれた動物や昆虫。そしてなんとも言えない豊かな表情の女性たち。

 吉原に出入りし、女性の外観はもちろん、その人生の悲哀を感じ尽くし、菱川師宣の影響を受けた一蝶。

 自身も島流しに処され、絶望の底で出会った島民と仏画。そして血を分けた息子。

 それらのすべてがこの涅槃図に凝縮されているように感じました。

 生きていると、なんであんな回り道をしたんだろう、どうしてもっと自分に正直になれなかったんだろう、

 どうして?

 なんで?

 時間を浪費したような感覚に陥って自分を許せなくなる時があるものですが、

 それも私の一部として昇華すればいいのかも知れない。

 涅槃図はこう語ってくれているようでした。

 そして、

 こうして、存在するから観ることのできた涅槃図を通じて、

 存在を失って観ることのできないたくさんのものがあることも感じました。

 日本の絵画は海外に渡ったことで焼却を免れたものもたくさんあると思います。

 一番仏教の研究が進んでいるのは、実はインドではなくヨーロッパだそうですが、

 イギリスがインドを植民地支配した時、たくさんの仏教の文献を本国に持ち帰ったそうです。

 それで、発祥の地ではほとんどその原型を留めていない仏教の研究が、ヨーロッパでされてるそうです。

 何がいいとか、悪いとか、ではなくて、

 結果として善し、と成るようにするのが、生き残った者、存在する者の役目ではないですか?

 涅槃図は、こう私に問いかけているようでした。