オリンピックが始まりましたね。

 開会式をテレビで見ましたが、
すご〜ぃ、の一言🤥


 これは江原道、原州の江原監営の入り口にある平昌オリンピックのマスコット。

 聖火リレーのあった日も、この前で記念イベントがありました。

 江原道というのは、李氏朝鮮時代の1395年に江陵道(カンルンド)と交州道(キョジュド)を合併して、誕生しました。 
 首府を原州に定め、江陵の"江"と原州の"原"をとって江原道となりました。

 原州はソウルから江原道の交通要所であったのでここに江原鑑営を造って、観察使を置きました。


 時々、江原道の自然の豊かさと、その開発について雑誌で見たことがあります。

 よくスイスのことを引用してましたが、自然が豊かで、以前は貧しかったという意味では似てるようにも思います。

 知人から聞いた話ですか、1970年代、ソウルにある食堂などでは、江原道からきたと言うと、たくさんサービスしてくれたそうです。
 それぐらい貧しいというイメージがあったそうです。

 また、家を借りる時も、江原道からきたと言うと貸してくれる大家さんが多かったそうです。
 これは正直者で人が良かったからだそうです。

 ちなみにスイスはどうやって貧しさから脱却したかと言うと、傭兵の存在でした。

 傭兵とはお金で雇われた兵士のこと。
 
 フランスのルイ14世は高給を払って傭兵を雇いました。

 それがフランス革命の時のこと、ルイ16世と王妃アントワネットがいたチュイルリー宮殿に市民が殺到した時、この宮殿の警護に当たっていた傭兵の大部分は逃げてしまったのに、スイス人の傭兵だけは逃げませんでした。
 さらにルイ16世が攻撃命令を出さなかったために、たくさんの傭兵が無抵抗で市民に虐殺されました。

 ルツェルンにあるライオンの碑はこうして生命を落とした傭兵の慰霊碑です。

 スイスの傭兵はこうしてたくさんの犠牲を払いましたが、その犠牲の代価として信用を勝ち取りました。

 ヨーロッパの30年戦争の時、スイスが戦場にならなかったのは、各国がスイスの傭兵を雇用していたので、そこを戦場にはできないという事情がありました。

 それが、中立国スイスの起源になったそうです。

 なんでこんなこと書いてるんだ?

 ご存知のように韓半島は休戦ラインを中心として、休戦してる状態です。

 その中で江原道だけは北朝鮮にもあり、韓国にもあります。

 二つに割かれた唯一の道となるわけです。

 なので聖火の点火の際、南北の選手が一緒にあの聖火台の階段を上がって行く光景は、感慨深いものがあったのではないでしょうか。



 オリンピックを通じて江原道は今後大きく変わることと思います。

 豊かな自然と、歴史と文化の調和、そして平和の象徴としての江原道の姿を、これから期待したいな、と、近くて遠い国から来た며느리(ミョヌリ)は思うのでした。