ソウル城北洞にある寺院で、韓国で市内に寺院があるのは珍しいです。




四季を通じて美しい景観が見られるので、行かれた方も多いかと思います。

韓半島の仏教は高句麗に372年、百済に384年に伝来し新羅では528年に公認されてます。特に新羅では護国仏教として栄えました。
その後、半島を収めた新羅が滅亡し、高麗王朝が半島を収めます。
この時も仏教は鎮護国家の法として重視されました。
しかし、李氏朝鮮時代になると、儒教が重要視され、仏教は再三迫害されました。
あちらこちらにあった寺院は国が定めたものを除き、取り壊され、所有地と奴婢は没収されました。
そのせいなのか、韓国の寺院は本当に山中にあるものが多いです。
それでも完全になくなることはありませんでした。
日帝時代になって日本の仏教の影響を受けて、僧侶の妻帯を認めた寺院もあったそうです。
しかし現在の韓国の仏教は僧侶の妻帯を認めてはいません。

吉祥寺は、元々は大苑閣と言う高級料亭でした。
政治的な会合にも使われたそうです。
ここの女主人であった김영한 (キムヨンハン)は15歳で病弱な男性のもとに売られ、直後にこの男性は死亡。未亡人となってしまいます。
あまりにも過酷な嫁ぎ先での生活に決別し、妓生(キーセン、日本で言うと芸者が一番近いと思いますが、芸者ともすこし違うんですよね。難しいなぁ。)
もって生まれた美しい容姿に加え、詩、書道、絵画、すべてに超越した才能を見せました。
詩人の백석(ペクソク)は彼女に자야(チャヤ)という筆名を与えました。
その後、二人は恋に落ちましたが、結ばれることはありませんでした。
大苑閣の成功でたくさんの財産を築いたキムヨンハンでしたが、最愛の恋人の誕生日には、飲食の一切をしなかったそうです。
こうして無くした恋人を胸に抱いたまま、彼女はある日一冊の本を読みます。
それが법정스님(法頂、ポプチョンスニム スニムは僧侶という意味)の無所有という本でした。
以降彼女はポプチョンスニムと交流するようになります。
1985年から自分のすべての財産を寄贈したい、寺院にしてほしいと再三申し入れますが、ポプチョンスニムは断り続けました。
それでも彼女は10年に渡って粘り強くお願いし続けます。
そして1995年に寺院として登録され
1997年に名称を吉祥寺として再登録されました。
吉祥寺の吉祥(キルサン)はポプチョンスニムが彼女に与えた法号、길상화(キルサンファ)からとったものです。
ポプチョンスニムは韓国では大変に有名な僧侶で、たまたま外国から嫁いで生活している私ですら、この方のことは知っていました。
2003年に吉祥寺の住職を退き、江原道の山奥で時給自足の生活をされました。(ちなみにオリンピックの開かれる平昌も江原道)
2011年3月に吉祥寺で他界されました。(享年78)

ソウル都心に近いこの吉祥寺は市民にとっては憩いの場としても親しまれてます。
実際行って見ると、都心とは思えず、四季折々の風景が美しく、心が癒やされます。
悲哀に満ちた一人の女性の人生と、その女性に一筋の光を与えたポプチョンスニム。
財産寄贈を再三断られなら、諦めなかった彼女の行動の裏に、それが見て取れるようです。

寺院としての歴史は古くありませんが、吉祥寺誕生の背景にある人間の歴史はとても深く考えさせるものがあります。