久しぶりの投稿です。
今日は愛犬が死んだ時のことを書きたいと思います。
なんとなく忘れたくないので自分の記録として・・
私の誕生日でした。
10月29日、0:00をまわって何件か「おめでとう」のメッセージが届き、
午前3:00すぎにベッドに入りました。
母親から電話があったのは確か午前6:00頃。
時間的にも、愛犬せーらの状況的にも、
電話に出る前から予想はついていました。
私はすぐに身支度を済ませ、新幹線に乗り込みました。
そんな時間、たぶん自由席も十分に座れただろうに
なぜか私は車両と車両の間の通路に座り込んでいました。
熊本に到着するまでの40分がいつもより長く感じました。
頭を巡るのは彼女の体調が悪くなり始めてから当時に至るまでのこと。
彼女は夏に入る前から少しずつ食欲を失っていきました。
もともと夏が苦手でしたが、その時はいつもと少し違った様子で本当にきつそうでした。
食べ物だけではなく水すらまともに飲めなくなった彼女を見て
母親はいつも辛そうな顔をしていました。
私は離れて生活をしているのでたまにしか状況を確認できませんでしたが、
日に日に悪くなるばかりの愛犬の姿を見るのは相当きつかったんじゃないかなと思います。
8月終わり。
痴呆が進み、もう誰が誰だかわかっていない、ということを私は電話で聞いていました。
それからは帰省するのが本当に嫌でした。
一番好きでいつもいっしょだった母親も、一家の主ということを理解し慕っていた父親も、
帰ってきたら尻尾を振って喜んでいた兄や私のことも、完全にわからなくなっていました。
彼女は誰が何をしようがお構いなしに家の中をひたすら歩き続けました。
行き止まりすらわからないにも関わらず、狭いところが好きだった彼女は
よく壁にぶつかって、出られなくなって鳴いていました。
壁にぶつかった時以外は、もう声を発することもありませんでした。
痴呆が進むと、ごはんをたくさん食べるようになりました。
私はこのまま体調もよくなって元気になるんじゃないかな、とぼんやり考えていましたが
彼女がごはんを食べるようになったのは痴呆の老人が自分が食べたことすら忘れ、
1日に何食でも食べているようなものでした。
学校も始まり、帰省できない理由ができると連休でも帰らないようになりました。
彼女を見るのが怖かったのです。
10月27日、実家に電話をし、せーらの状況を聞くと
今日は割と元気でさっき久しぶりに声を出してくれたんだよ、と言っていました。
しかし彼女はその2日後に死にました。
午前8時すぎ。
熊本駅に到着し、私はタクシーに乗りました。
運転手がかなり陽気なおじさんで、自分の家のことや持っている資格、自分の犬のことまで
写真付きで説明してきて家に着くまでの15分ほどがとても苦痛だったのを覚えています。
家に到着すると、(その日は父は仕事で家を空けていたので)泣いている母と祖母、
そしてその真ん中で目を開けたまま生きているように死んでいるせーらの姿がありました。
体を触るとまだほんのり温かく、本当に生きているのではないかと思うほどでした。
その表情に苦しんだ様子はなく、眠っている彼女はとても幸せそうな顔つきをしていました。
母親の話によると、母の布団の中で、抱かれるように眠っていたそうです。
私は初めて、人ってこんなに泣けるんだ、というくらい泣きました。
しばらくすると兄が東京から帰ってきました。
彼もせーらのことを愛し、とてもかわいがっていましたが
あまり涙を見せず男の人は強いなぁと思いました。
それから夜になるまで、親戚中の人が最後のお別れにやってきました。
彼女はみんなから愛されていました。
夜になると開いたままの瞳から見える眼球が少しとろんとしてきて、
死臭というのかわかりませんがにおいもするようになったので、
腐らないように保冷剤で体を冷やし、いっしょに眠りました。
仕事上、精神的なダメージが直接仕事に響いてしまうため、
父親には言わないまま翌日火葬しに行きました。
(父は母に、もし仕事中にせーらにもしものことがあっても
連絡しなくていい、とあらかじめ伝えていたそうです。)
火葬場には、小さい頃からいつもいっしょだった「みーちゃん」という
犬のぬいぐるみとたくさんのピンク色のお花、そして大好きだった梨を持って行きました。
私たちは最後に一人ずつ彼女を抱きしめました。
その時も、私が一番泣いていました。
そして、(そのまま火葬するため)ダンボールでできた棺桶に入れられた彼女のまわりに
それらをひとつひとつ入れました。
本当に最後のとき、
私は彼女の頭をそっと撫で、兄が火葬のスイッチを押しました。
完全に骨になるまでに1時間もかかりませんでした。
その間は火葬場に飾られた動物たちの写真や供えられたものを見てまわりました。
1時間後、彼女は骨になって出てきました。
小さな小さな骨でした。
それらをお箸でひとつずつ骨入れに収め、最後に「仏」の意味を持つ喉仏を入れて蓋を閉じました。
家に帰ってからはただただぼーっとしていたような気がします。
12年間当然のようにいっしょに暮らしていた子がいなくなるのは
信じられなかったし、信じたくありませんでした。
父親から仕事の途中に電話が入り、何事もなかったかを聞かれた母は
つくり笑顔で「何もなかったよ、仕事がんばってね」と応えていました。
彼女のお骨は今も実家にあり、いつもきれいな花や好きだった食べ物が供えられています。
彼女はウチに来て幸せだったのか、聞くことはできないけど
彼女は私たちにたくさんの幸せを与えてくれました。
ありがとう、
また会おうね。
林檎