前回、長野県で生まれたという話をさせていただきました。

 

その後は父親の実家のある東京都の多摩地区で育ちました。

 

山に囲まれ、時折、野生動物を見かけるような自然の多い環境で、

 

毎日学校から帰るとすぐに友達と野球やサッカーをしにグラウンドへ行く、

 

というような小学校時代をすごします。

 

 

中学生になっても、運動は好きでしたので

 

友人達と同じように運動部に入るつもりでしたが、

 

父親の方針でそれは許されず、仕方なく、好きでもない

 

文化系の部活に入りました。

 

 

父が運動部の入部に反対したのは

 

運動部に入ると、疲れてしまい家に帰って勉強ができなくなる

 

という理由でした。

 

口にはしませんでしたが、今から考えると長男ということもあり、

 

私にはしっかり勉強してもらいたかったのだと思います。

 

父親自身、学生時代には働きながら定時制高校に通ったり、

 

中学生の時、寒い中、新聞配達の仕事をして大変だったこと、

 

お金が無くて修学旅行に行けなかったことを聞かされたことがありました。

 

私自身は両親のおかげで金銭的な不便を感じたことはありませんでしたが、

 

父親は自分が学生時代に家の手伝いや、外での仕事で勉強する時間が

 

取れなかった分、

 

「息子にはしっかり勉強してもらいたい。

そして、進学して、就職してもらいたい」

 

そう思っていたのではないかと思います。

 

 

ですが、それに気づかない私は残念なことに、

 

興味の無いことはあまりやらないタイプなので、それほど勉強はしませんでした。

 

 

入った部は大して活動は無かったため、自分の部活が早く終わると、

 

練習する友人達を羨ましく思いながら野球部やサッカー部の練習をグランドのはじで見ていて

 

、終わると彼らと一緒に帰る、そんな毎日をすごしました。

 

中学三年になると、高校に入ったら運動部に入りたいことを伝えて許可をもらえたこともあり、

 

受験勉強に励んだ私は無事志望校に合格。

 

 

高校に行ったら剣道か弓道部に入ろう、

 

その時はそう思っていました。