待ちにまった高校生活がスタートしました。
弓道部や剣道部を始めは考えていましたが、
剣道部は小学生時代から続けている人と経験の差がついてしまっていること、
そしてやはり外で体を動かすことがしたいと考え、硬式テニス部に入部しました。
硬式テニスであれば、高校から始める人が多く、技術的な差は少ないと考えたからです。
テニス部では一年生は、夏までは毎日近くの公園で6,5キロのランニング、短距離ダッシュなど
走ったり基礎体力づくりが中心の活動でした。
運動部に入れて、とても嬉しかった私はやる気だけは誰よりもありました。
苦手なランニングも誰よりも早く走ろうとしました、どんなトレーニングも常に全力。
ハードなトレーニングでしたが、中学で3年間、運動部の活動がしたくてもできなかった私は毎日とても幸せでした。
ですが、そんな生活が一ヶ月ほどたった頃、練習後に脛にだるい痛みを感じました。
やがて痛みは強く、毎日感じるようにになりました。
なかなかひかなくなり、練習中だけでなく日常生活でも痛む
ようになりました。
それでも我慢して続けていましたが、痛みはどんどん強くなり、熱を持つようになりました。
仕方なく、整形外科を受診すると診断名は「疲労性骨膜炎」。
このまま続ければ、骨折してしまうこと、そして3週間の運動中止を告げられました。
大げさに言えば、部活が生きがいだった私にはとてもショックでした。
今から考えれば、硬いアスファルトでのトレーニング、クッション性の低い靴、
前に体重をかけすぎるランニングフォーム、体力の不足などが原因と考えられます。
それから、私だけ毎日部活を見学しながら、一生懸命汗を流す同級生を眺めるのはつらかったです。
誰よりもやる気はあるのに、なぜ自分だけ・・・。
3週間経ち、私は復帰しますが、すぐに痛みが出て、また見学。
完治を告げられるまでに結局2ヶ月かかりました。
その後も肩を痛めたり、練習に参加できなくなることがあり、
そのたびに同級生との実力差はついていきました。
差を埋めようにと自主練をしたりしましたが、差は埋まりません。
下手なものがいると練習で足を引っ張ってしまうと思い込んだ私は
3年生になると、ほとんど部活に出なくなってしまいました。
あれほど好きな部活だったのに。
ケガが無かったらそうはならなかったのかなあと今でも思います。
とても悔しい思い出です。
でも、おかげで「やりたいことができない人の悔しい気持ち」がよくわかるように
なりました。
だからそのような人を救える存在になりたいと思います。
この出来事が無かったら、この道に進んでいませんでした。
そういう意味では感謝するべき出来事だったと今では思っています。