おじいちゃん | 解離性同一性障害(多重人格障害)40余りの人格と共に生きる
おじいちゃん

もう死んじゃって
家追い出されたから
やっと逢えたと思った時には、もう死んだ時だった

死んで燃やされて骨になって
火葬場の人にひとつだけでいいから、おじいちゃんの骨が欲しいって
ずっとせがんだ事をよく覚えている

おじいちゃんは、私に取って最高の人だった

怒った顔を見せた事がない
怒った事がない
嫌な事を人に言われても、決して嫌な顔ひとつしない

いつもいつも全ての物に感謝していた
感謝の気持ちを絶えず忘れる事なく、感謝の言葉を繰り返し繰り返しとなえている人だった

愚痴のひとつもこぼさず、朝日が登ってから日が暮れるまで働いていた
どんな事にも、どんな話にもいつも耳を傾け一生懸命その人の為に出来る事を考える人だった
日が暮れてから寝るまでの時間、絶えず勉強していた
文句ひとつ言わず、ただただ一生懸命働き、一生懸命に生きている人だった

足が不自由になっても、腰が不自由になっても、不自由な事がたくさん出てきても辛いとか、しんどいとか何ひとつ口にする事なく
何の文句も口にせず、自分の事よりも人の心配をしいたわる心を忘れずにいる人だった

自然の恵みに常に感謝し、自然の恵みの尊さに常に感謝し、繰り返し繰り返し自然の恵みに感謝の言葉をのべていた

どんな時も、どこを歩いていても、家の中だろうが人のいる道路だろうが
感謝の言葉を繰り返し繰り返しとなえていた
寝ている時以外、絶えずとなえている人だった



どうやったらそんな風になれるのだろう
頑張ったからと言ってなれるものじゃない

ずっとおじいちゃんの背中を見て来た私なのに
今なぜそんな人になれていないのだろう

私は何を見ていたんだろう

教えて欲しい事がまだまだたくさんあった
話したい事がまだまだ多くあった

いつも私や私の年相応の解る言葉で話してくれたり、教えてくれたりしたが
医学の事や難しい本や、先祖代々古くからある書物の読み方や意味などになってくると
難しすぎて読めない本が多く出てきていた

どうすればそのような人になれるのだろう
もっともっとおじいちゃんから色んな事を学ぶべきだった
教わってくるべきだった


おじいちゃんが死んだ時、長年逢えなかったおじいちゃんにやっと逢えた
死んでからしか逢えなかった
やっと逢えたと思えば死んでからだった

今日病院へ行き、もう長年逢えていない祖母と横顔が似ている人を見付け
思わず撮ってしまった
祖母に逢えたような錯覚を抱いた

仏壇に先祖代々からの写真が飾られている事を思い出し
ムリを承知の上で仏間に飾られている祖父の写真を送って欲しいとお願いした

文句を言いながらも送ってくれた

嬉しかった
祖父の写真を見て涙がこぼれた

安心の気持ちとごめんなさいの気持ちと

毎日祖父の写真を見て
祖父の行動や言葉を思い出し
これから少しでも努力し、全ての物に感謝の気持ちを持って生きていけたならと思う