気が付くと言う事 | 解離性同一性障害(多重人格障害)40余りの人格と共に生きる
食べたくない
何も食べたくない

親の事を考えようとしている訳じゃないのに
常に目の前に実家の台所が見えていて
そこにいる父親と母親の姿を見ている

そのフィルムみたいな
動画のフィルムのような物を通して
いつも現在の景色を見ている

テレビ、景色、何の風景だろうが
常にその前には
実家の台所にいる父親と母親の姿を通して見ている

見たくて見ているわけじゃない

現実に何の風景だろうが
その前には実家の台所が見えていて
父親の姿と母親の姿が見えている


いつも意見をくれる友人がいる
的確な意見

アドバイスではなく的確な意見

どうすればいいとか
こうするといいとか
そんなアドバイスではない

的確な意見を書いてくる

どうするのか
どう考えるのか
どうしていくかは私だと
私自身にしか出来ない事だと教えてくれる

私にしか解らない事

アドバイスではなく
的確な意見だからこそ
いつも考えさせられる

私にしかどうすればいい事なのかは解らない事なのだから
当然の事だ
そこで逃げずに考えなきゃいけないのは
気づかなきゃいけないのは、この私だ

今日、彼女からの意見を読んで
涙が溢れ出しそうになった

何の涙なのかは解らない
私自身の事なのに解らない

溢れ出しそうになった涙を飲み込むのに必死だった
いつもそう

涙が出そうになると必死に涙を飲み込んでしまう
涙をこぼさないよう必死に飲み込んでしまう

自分でもなぜそうしてしまうのか解らない

自分だったらどうするのか
どう感じるのか

私にしか解らない事
そこで考えるのは私にしか出来ない事だと
いつも彼女は教えてくれる

自分自身で気づかなきゃいけない


ここ最近20時間程寝続けてしまったり
割れるような頭の痛みが続く事
食べる事をさけてしまう事

何とかしなきゃいけない

自分で考えてどうしたらいいのか
どうするべきなのか気が付かなきゃいけない

溢れ出しそうになる涙を流すには、どうしたらいいのか
なぜいつも飲み込んでしまうのか

私は気が付かなきゃいけない

気が付かなければいけないのは
他でもない、この私自身だと言う事